第78話
「姉に嫌味の一つでも言えましたか?」
「え?」
「洋一さんと結婚します、おなかには彼の子供もいます。あなたの大切な恋人を私が頂きますとでも言えましたか?」
僕は、姉の代弁者になったつもりでどんどん言葉を放っていった。
こんな不穏な会話、先祖代々の墓石の前でするような事じゃないって分かってる。罰当たり以外の何物でもないだろうし、何より姉に聞かせるような事じゃないだろう。きっと、姉は泣いている。自分を卒業するとのたまい、墓参りにすら来てくれない恋人の裏切りをひどく悲しんで泣いているに決まってるんだ。そう思っているのに僕は、そんな姉の前でみゆきさんを罵倒せずにはいられない。あんなに優しく、心身共に美しかった姉をこんなに悲しませるみゆきさんが憎たらしくて仕方なかった。
それなのに、みゆきさんは僕の罵倒にほんの少し眉を寄せるだけで、大して怒る事も悲しむ事もなかった。ただまっすぐに僕を見据え、おなかの中の子供に添うように右手を当て続けていた。
「……そうね。聞きようによっては、そう聞こえるかもしれない」
やがて、僕の言葉が尽きかけたタイミングを見計らったかのように、みゆきさんが静かな声で言い始めた。セミの鳴き声が一段と大きくなってきたから、よく耳をすませていないと聞き逃がしてしまいそうだった。
「でも、一つだけどうしても誤解しないでほしいの。私は、あなたのお姉さんが洋一と出会って恋をした事、決して羨んだり疎んでたりしてないわ」
「嘘をつくなよ」
もう敬語すら忘れてしまった僕は、じろりとみゆきさんをにらみつけた。
ずいぶんと余裕じゃないか、と思った。
確かに姉が洋一さんと恋人同士になったのは12年前の話で、しかもほんのわずかな期間の事だ。だが、姉と洋一さんはお互いを心から愛し合っていた。僕だって、姉が選んだ洋一さんなら、そのまま新しい兄になってくれたらいいなと、どれほど楽しみにしていた事か。それがもう永遠に叶わないどころか、横からひょいと現れた見知らぬ女に洋一さんを奪われて、しかも子供まで生まれてくる。姉の代わりに僕が憤らなければ、姉があまりにも不憫じゃないか――!
「それが嫌味だって言うんだよ」
僕は、こっちに向かって大きく両目を見開いてきたみゆきさんに言ってやった。
「姉さんがいてくれていたら、洋一さんはあんたなんか見向きもしなかった。ずっとずっと、姉さんと一緒だったんだ」
「……」
「そして姉さんと新しい家庭を築いて、いつまでも幸せに過ごしていったはずなんだ。あんたの出る幕なんかなかった」
「……うん、そうだね。きっと、そうだったと思う」
「そんな姉さんから洋一さんを奪って、子供まで作って、今どんな気分だよ? 優越感に浸りまくってるのか? だからこうやって来たんだろう?」
「ううん、だから誤解しないで」
みゆきさんは右手をおなかに当てたまま、何歩か僕に近寄ってきた。初めて会った時はあんなに痩せ気味で儚い雰囲気しかなかったのに、今は何だか強くなっているように見える。よく「母は強し」なんて言葉を聞くけれど、彼女も例外なくそのカテゴリーに入っているのか。だからこんなに図々しく誤解するなと何度も言えるのかと、僕はますます嫌悪感を強めた。
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