第63話

きっと僕は、自分が思っている以上に単純で分かりやすいタチなのだろう。洋一さんからの招待状が届いてから数日、僕の機嫌は最高潮に悪くて、それが隠れる事なく顔に出ていたんだと思う。一学期の終業式を迎えた日の事、体育館へと向かう直前に木下が「あの……」とおそるおそる声をかけてきた。


「何か、あったの……?」

「何かって、何が?」


 久しぶりに教室の中でしゃべったせいもあったかもしれないが、自分でもびっくりするくらいとんでもなく低い声が出た。そういえば、家の中でも両親に話しかけられるような事がない限りは、極力押し黙っていなかったっけ……。意識していなかったし不便だとも思っていなかったが、ここ数日僕はほとんど言葉というものを発していなかったようだった。


 そんな事を木下に気付かれたくなくて、僕はついそっぽを向いてしまう。その時、廊下に出ようとしていた島崎とぱったり目が合ってしまったんだけど、島崎は「うわっ……」と小さくつぶやくように声を出すと、まるで梅干しを一気食いしたかのように顔をくしゃっと歪ませてから、そそくさと教室から出て行った。


 何だよ、あいつ……といぶかしんでその背中を見送っていたら、今度は木下の遠慮がちな声が耳へと届いてきた。


「……とても、怖い顔してる」

「は?」

「いつもだったら、見てる私の心の方が温かくなるような優しい顔でクラスの皆を見渡してるって感じなのに、ここ何日かはずっとどうにもならない何かに怒ってるみたいっていうか、ずっと怖い顔で空気をにらみつけてるふうに見えるの……」

「……」

「だから、どうしたのかなって」


 木下の言っている意味が、あまりよく分からなかった。


 何を言ってるんだろう、彼女は。僕はいつだって、ずっとこの灰色の世界の中で、急に姉がいなくなってしまった事への理不尽さに怒ってきた。


 姉の生きてきた「17歳の世界」という中で、姉が何を思い、どんなふうに毎日を過ごしてきたのかとそんな事ばかりに思いを馳せて生きているんだ。この2年A組の教室の中に残っているであろう姉の面影を探して、たぐり寄せて、この両腕の中にずっと抱き留めておきたいと願っている。そんな僕が、優しい顔をしていたって言うんだろうか。あり得ないだろう。


 変な勘違いをされたり、その延長上で木下が突拍子もない言動をしてきても困るので、ちょっとだけ間を置いた僕は思い当たる節を述べてやる事にした。


「……姉さんの恋人が、結婚するって言ってきた」

「え?」


 次々とクラスメイト達が廊下に出て、体育館へと向かっていく。気が付けば、2年A組の教室の中には僕と木下しかいなかった。

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