第64話

「この前の十三回忌の時には来てくれてたんだけど、その婚約者同伴だったんだよ」


 そう言った僕の脳裏に、洋一さんとその後ろに立っているみゆきさんの姿が浮かぶ。何度思い起こしても、非常に腹の立つ光景だ。


 そんな僕の顔にまた険しい表情が乗ってしまったのだろう、それに気付いたらしい木下がきゅっと下唇を噛みしめた。


「……で、何日か前に招待状も届いたんだよ。婚約者のおなかの中に赤ちゃんがいるから、予定を早めますってさ」

「それに、怒ってたの?」

「他に何がある?」

「……」

「洋一さんの薄情さには、本当に呆れてるよ。あんなに姉さんと幸せそうに過ごしていたくせに」


 洋一さんとみゆきさんが連れ立っている姿を追い出して、僕は急いであの頃の日々を思い返す。あの頃――時々、姉さんに連れられて僕達の家に遊びに来てくれてた洋一さんは、幼かった僕にとっては頼れるカッコいいお兄ちゃんだった。


 本当なら姉と二人きりで甘酸っぱい時間を過ごしたかっただろうに、無遠慮に何度も姉の部屋へと突撃してくる僕に対して嫌な顔を見せた事なんて一度もない。それどころか姉と同じくらい優しい笑顔で手招きしながら、「一緒に遊ぼうか?」なんて言ってくれる面倒見の良さだってあった。


 そんな洋一さんの事を、姉は心から好きだったはずだ。愛していたと言い換えても、たぶん過言ではないだろう。だからこそ、姉は『二人だけの、内緒のお話だからね』と前置きしてから、こっそりと僕だけにこんな事を言ってくれたんだ。


『お姉ちゃん、洋一君のお嫁さんになれたら、きっと世界で一番の幸せ者になれると思うの。ねえ、洋一君にお兄ちゃんになってもらいたい?』


 そんなの当たり前だと思った。砂糖が甘かったり、塩がしょっぱいのが当然の事と同じくらいのレベルでそう思った僕は、何度も何度も首を縦に振った。世界で一番の幸せ者どころか、世界で一番きれいなお嫁さんになれるものだと信じて疑っていなかったんだ。


 それなのに、今の洋一さんの隣に立ってそうなろうとしているのは姉ではなく、ぽっと出の知らない女で。苛立つなと言う方が無理な相談だ。


 ああ、ダメだ。また胸の中がムカムカしてきた。九月なんて来なければいいのに。ずっとずっと、来なければいいのに。


 廊下に出て行った皆の気配が、どんどん遠ざかっていく。もうすぐ終業式が始まってしまう。僕もそろそろ体育館に行かないと。


「まあ、僕はそんな結婚式には出席しないからどうでもいいんだけど」


 もうこんな話などしたくなくて、僕は廊下へと足を向ける。父は家族三人とも出席するという返事を出しておいたと勝手な事を言っていたけれど、僕は絶対に行かない。姉を否定するような結婚式など絶対に出てやるものかと思いながら、開きっぱなしの教室のドアをくぐり抜けようとした時だった。

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