第61話

あれから数日、思ったより早く右手やわき腹の痛みが引いた僕は、以前と同じ灰色の世界で過ごす日々に戻ろうと懸命になった。


 以前と同じように自転車で学校に向かい、2年A組の教室に入って姉の面影を探す。そんな中、反省文を書かされたというのに、性懲りもなく島崎の奴が何度か絡んできた事もあったが、僕が一切相手をしないでいたら、そのうちすごすごと離れていった。木下から色好いろよい返事がもらえなかった事もあって、その鬱憤うっぷんを僕で晴らそうとでも考えたんだろうが、どうやら奴にもそれなりに諦めが肝心だという事を悟ったんだろう。


 そんな島崎を遠巻きに見て、木下はどこかほっと安堵した表情を浮かべていたようだが、正直僕はそれどころじゃなかった。絶対にそうだと思っていた事が実は全く違っていましたと思い知らされる時ほど、頭の中で「何で?」か無数に飛び交う現象は起こらないだろう。


 朝、学校に向かう途中のルーティンは復活させた。帰りだって言わずもがなだ。あの交差点の横断歩道の前で一度立ち止まり、電柱に向かって姉に心の中で話しかける。


 おはよう、行ってきます。ただいま、もうすぐ帰るから。


 それなのに、以前のように晴れやかな気持ちになれないのは、やはり電柱の下に供えられ続けている真新しい花束のせいだ。木下じゃなかった。その事実が、僕をかなりの頻度で悩ませている。一日に何回も、何十回も「いったい誰なんだ」と考える時間が確実に増えた。


 もしかしたら、美喜さんかもと一度だけ考えたが、すぐにそれは霧散した。もう何年も実家に立ち寄らず、誰も知らない遠くの土地でホステスをしているという美喜さんが、数日おきに真新しい花束を供えに来るのは無理がある。


 じゃあ、洋一さんか? 生島清司の裁判の傍聴には来なかったが、それでも三回忌までは足を運んでくれていたのだから、もしかしたら……と淡い期待が持ち上がったが、それだと先日の十三回忌の時の彼の言動と噛み合わない。婚約者を連れて来てまで、姉との縁を断ち切ろうとしている洋一さんが、いまだに花束を供え続けるなんてありえないだろう。


 答えが全く得られないまま、灰色の世界で過ごす僕の毎日はどんどん過ぎ去っていく。深緑が鮮やかだった初夏の空気が立ち去り、じめじめと重苦しい黒雲もいつのまにかいなくなって、やがてじりじりとした暑さが肌を汗ばんでいくようになった。


 それでも、電柱の下の花束は途切れる事なく供えられていく。まるで、姉の面影を求める為に灰色の世界に生き続ける僕への当てつけみたいだ。そんな卑屈な事を思ってしまうくらい、数日おきに変わっていく花束はどれも皆、まぶしいほどの色彩を放っていた。

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