第59話

……ガチャリ!


 急いで玄関を開けたそんな音にびっくりしたのか、木下は反射的に大きく全身で振り返ってくる。ここで彼女の姿を見るのは二度目、しかも一度目はまだ二日前の事だったっていうのに、何だかもう遠い昔の事のような気がして妙に変な気分になった。


「あ……」


 木下は木下で、何だかずいぶんと居心地が悪そうに唇を噛みしめていた。あ、もしかして、まだこの家に美喜さんがいるとでも思っているんだろうか。だとしたら、少しでも安心させてやりたいと思った。


「美喜さんなら、帰ったよ」

「え……?」

「だから、この間みたいな事にはならないから大丈夫。うちの親にも、木下の事は話してないし」

「そうだと思った」


 木下は、ほんのちょっとだけ安心したかのように、ほうっと短い息を吐いて強張らせていた両肩の力を抜いた。


「正直、あの女の人と同じように責められると思ってた。でも、私の事全然気付いてなかったみたい」

「特に母さんに話すつもりはないよ。また混乱するから」

「え?」

「ううん、何でもない。ああ、そうだこれ」


 僕は軽く首を横に振ってから、手に持っていた物を木下に差し出した。たぶん、島崎と取っ組み合ってた時、無意識に拾ってズボンのポケットに入れてしまっていたんだろうあの定期入れを。


「あっ!」


 木下の両目が大きく、そして丸の形に開いていく。まさかこのタイミングで返してくるとは思わなかったんだろう、すぐには受け取ろうとせず、僕と定期入れの間を彼女の視線が行ったり来たりしている。僕はさらにずいっと定期入れを突き出した。


「返すよ」

「え……」

「あいつの……生島清司が持っていた物だろ。いくら姉さんの写真だといっても、あいつの私物をこれ以上持っていたくはないから」

「でも……」

「返してくれなくていい。いらないなら、そっちで処分してくれ」


 そう言うと、僕は押し付けるように定期入れを木下の腕の中へとねじ込んだ。そのせいで木下は少しバランスを崩しそうになったが、何とか踏みとどまって、代わりに僕のカバンと制服の入った紙袋を突き出してきた。


「はい、これ」

「ああ。わざわざありがとな」

「今日は、本当にいろいろごめんなさい……」

「何で謝るんだよ」


 今朝言えなかった言葉が、今度は簡単に口から出てくる。すると木下は腕の中の定期入れからぱっと顔を上げて、僕の顔をじっと見つめてきた。


「何でって……」

「何に対して、ごめんなさいって言ってるつもりなんだ?」

「……」

「姉さんの事なら、木下がどんなに謝っても何も変わらない。生島清司が生きているうちにここに来てくれていれば、また違っていたかもしれないけどな」

「うん、そうだね。私が父の代わりにってのはおこがましいと思ってる。でも、それとはまた別に」

「……? 何?」

「島崎君とのケンカの事、少し話を聞いたから」


 生島清司との事とは別問題と捉えているのか、木下はスカートのポケットの中に定期入れをねじ込んでから、再び僕の顔をまっすぐ見据えてきた。

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