第50話

「あの男は? 生島清司はどうしてる?」

「えっ……」

「もう刑期は終わってるだろ?」


 僕は机の上に投げ出すように置いてあった左手のこぶしを、ぎゅうっと強く握り込んだ。


 悔しい事に、僕はどうしても生島清司の顔を思い出す事ができない。結審の際、美喜さんからの厳しい言葉を一身に受け止めていたあの震えた背中しか思い出せない。ネットでもいろいろ調べてみたが、事件の内容を記した新聞記事の横に貼られていたものの、ぼやけてはっきり写っていないモノクロ写真しか見つけられなかった。


 懲役五年が言い渡されていたんだから、何事もなければもうとっくに出所しているはず。それなのに生島清司は僕達家族に改めて謝罪に来るどころか、姉の墓前に参る事もなく、そのまま行方をくらませている。そしてこの間、木下の口から「父は来ない」という言葉をはっきりと聞いた。


 正直なところ、木下に向かって「ふざけるな」と大声で怒鳴ってやりたい。刑期を満了して交通刑務所から出てきたところで、姉が帰ってきてくれる訳ではないし、生島清司の過去がそれで帳消しになる訳でもない。あくまで一つのけじめが付いただけだ。そんな当たり前の事を当たり前とせず、僕達家族に何の報告もしないままにのうのうと生きているであろう生島清司の神経を心底疑う。


 だが、ここで木下を責めてみたところで何も変わらない。美喜さんの言う通り、あの男が現れない事には何も意味がないんだ。いくら木下の母親が賠償金を振り込んでくれようとも、当時あの男を雇っていた配送会社がドライバー達に対する過剰労働の強要を全面的に認め、その後倒産の憂き目に遭ったとしても、やはりあの男が何かしらのアクションを見せてくれない限りは、全然意味がないんだ。


 せめて、今はどこでどうしているのかだけでも知りたい。何かしらの理由で僕達の所に来られないって言うんだったら、僕達の方から出向いてやってもいい。その時は姉の位牌を持っていってやるから、結審の際についに言ってもらえなかった謝罪の一つや二つ、口に出してみせろ。その程度の誠意くらい、見せてみろ――!


 そんな事を思いながら、僕は木下の口から出てくる言葉を期待した。あの男に、姉への次なる贖罪を促してやれるものだと信じて疑ってもいなかった。それなのに。


「……この間も、言ったじゃない。父は来られないって」


 2年A組の教室の中の空気にとろりと溶けて紛れ込んでしまいそうなほどの、とても小さい声で木下は言った。


「この言葉の通りなの。父は、来られない」

「どういう意味だよ?」

「……三年前に、死んだそうだから」


 消え入りそうなほどの声でそう答える木下。だが、二人しかいない教室の中では、それでもぴんと張りつめているかのようによく響いて聞こえる。それなのに僕は、その言葉を全く受け入れたくなくて、「何?」と何回か聞き直した。


 そのたびに、木下はしっかりと答えてくれた。


「私も、養女にしてくれた木下の両親から聞かされただけなんだけど……」

「刑務所を出てから、あちこち引っ越しを繰り返してたみたい」

「三年前、借りてたアパートの部屋で死んでるのが発見されて」

「死因は急性の心臓マヒだろうって話」

「大した私物も残していなかったんだけど、机の上にお姉さんの写真の入った定期入れが置いてあったって」

「良かったら、見る?」


 最後にそう言って、木下は学生カバンの一番奥からずいぶん古ぼけた定期入れを取り出してきた。


 差し出されたその定期入れの中には、どこで手に入れたのか制服姿の姉の写真が確かに収まっている。誰かと一緒に写っていた物を切り取ったのだろう、ちょっと横を向いて満面の笑みを浮かべている写真だった。


「ごめんなさい」


 僕が定期入れから視線を上げると、木下が謝ってきた。何でお前が謝るんだと言ってやりたかったが、そうするより一瞬早く廊下の方から騒がしい誰かの声と足音が聞こえてきた為、話はそこで終わってしまった。僕は定期入れを木下に返す間もなく、机の中に隠すように押し込んだ。

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