第49話

鍵のかかっていない2年A組の教室に辿り着くと、木下はまっすぐ自分の席に向かっていき、持っていた学生カバンから教科書やノートやらを取り出していく。もしかして、毎日持ち帰ってるのか? 学級委員やってる木下らしく、真面目な事だな。


 そんな事を思いながら、僕も一旦、自分の席へと向かう。教室の窓際、一番最後の席。かつて姉が過ごしていた場所を余す所なく観察できる場所。いつもであれば、今日も一人静かに一日を過ごせるはずだったのに、美喜さんからの思わぬ情報のせいで、今この時だけは全く別物と化している。


 その別物の机に自分の学生カバンを適当かつ乱暴に放り投げた僕は、勢いのままに木下の方に顔を向ける。木下はまだ教科書やノートを机の中にしまい続けていたが、僕の視線に気が付くと、一瞬椅子に座らせていた体をぴくりと震わせた後で視線を合わせてきた。


「だから、大丈夫だってば」


 今度は苦笑いを浮かべながら、木下が言った。


「私が答えられる事だったら、何でも話す。ほら、皆が来ないうちに」


 2年A組の教室の黒板、その上に掛けられている壁時計は午前七時四十五分を回っている。木下の言う通り、あまりもたもたしていられない。早ければ、あと十分か十五分くらいでクラスメイトの誰かが来てしまうだろう。僕は自分の席の椅子にどかりと座ると、木下の顔をまっすぐ見据えながら問い始めた。


「この間、美喜さんが言ってた事だけど」

「……あの人って、お姉さんの……?」

「ああ、親友だった人だよ。生島清司の裁判も全部傍聴に来てくれるくらい、姉さんを大事に思ってくれてた。他にもたくさん、同じように思ってくれてる人達がいたよ」

「……」

「それで、どうなんだよ? 美喜さんの言ってた事に間違いないのか?」

「うん」


 木下は、しっかりと頷いた。


「私は父の、生島清司の娘で間違いない」

「……名字が違うのは、母親が離婚したからか?」

「それはちょっと違うかな」

「何が違う?」

「木下は、母の遠縁にあたる籍で……私は小学校に上がる直前にそこへ養女に入ったから」


 きっと、何故名字が違うのかと最初に尋ねられる事を想定していたんだろう。木下の声は全く怯む事も淀む事もなく、事実をはっきりと答えてくれた。


「父に有罪判決が出るだろうって事を、母は担当の弁護士さんから聞いてたらしいの。それで、せめて私だけでも平穏に暮らせるようにって遠縁に頭を下げて、養子縁組の手続きをしてくれた」

「……お袋さんは?」

「養女になってからは、ほとんど会ってない」


 今度は、首を横に小さく振ってきた。


「どこか地方で住み込みで働いてるって聞いたけど、詳しい事はよく知らないの。たぶん、それも私の事を考えての事なんだろうけど」

「ふうん」


 僕は流すように返事した。実際、木下の母親の事はあまり重要じゃない。たぶん今でも姉への賠償金と称して父にお金を送っている事だろうし、そもそも僕は母親に対してそれほど強い感情を向けている訳でもなかったから。


 だが、あの男は違う。僕は両目に力を入れ、木下をにらみながら次の問いを口にした。

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