第43話
「うん、好きだよ」
僕がそう答えると、美喜さんはコンロの火を止めて、少し分厚くなってしまったフレンチトーストを皿に盛りつける。そして手近にあった苺やブルーベリー、バナナといったフルーツもトッピングして、机の側にいた僕に差し出した。
「はい」
「……いいの?」
「好きだって言ったじゃない。あ、おじさんとおばさんの分もあるから」
美喜さんの視線の先を辿れば、コンロの横の調理台の所にまだ二皿分があった。そういえばと両親の姿を捜してみたが、おそらく父はいつものように書斎にこもってるのだろうし、廊下の向こうからわずかに洗濯機の回る音が聞こえてくるから、母は洗面所のあたりにいるんだろう。
ありがとうとお礼を言いかけたが、ふと美喜さんの分がない事に気付く。僕は、後片付けを済ませて台所を離れようとする彼女に声をかけた。
「美喜さん、食べないの?」
「うん、いらない。最近、朝は食べなくなったの」
まるで当たり前のように、美喜さんは答えた。あの頃は、朝食もしっかり食べる
「本当に変わっちゃったんだね……」
そんなつもりはなかったのに、ついそう漏らしてしまった。それを決して聞き逃がさなかった美喜さんは、わずかに口の両端を持ち上げてから「昨夜はごめん」と言ってきた。やっぱり、と僕は思った。
「本当、嫌になるね」
美喜さんが言った。
「昨夜、あいつの娘を目の前にして……あの子がいなくなってしまった時の悲しみが蘇ってきた。だけど、あの時のそれと全く同じなのかと言われたら違うのよ。似ているようで、全然違う。大きさも質も変わっちゃってんのよ」
「美喜さん?」
「しかも、それに納得しちゃってる自分もいたりするんだから驚きよね。あの子のお葬式の時、思ったのに。絶対この悲しみを忘れるもんか、あの子を奪われたこの悔しさを忘れるもんかって」
「……」
「嫌ね、大人になるって」
そう締めくくると、美喜さんは台所を出て行った。
トントントン……と、階段を昇っていく音が聞こえたから、おそらく着替えの為に姉の部屋へ戻ったのだろう。そんな足音を聞きながら、僕は昨日、父が洋一さんに言っていた言葉を思い出した。
『君も、いつまでたってもあの子の恋人じゃない。君だって、もうあの時の子供じゃなくなってるんだから』
何でなんだよ、と思う。何で変わらなくちゃいけないんだと、思った。姉がいない、いなくなってしまったという事実は変わらないのに、どうして姉が生きていた事を覚えていなくちゃいけないこちら側の人間が、こうも容易く変わっていくんだ。
耳障りのいい言葉を選ぶとしたら、きっとこれが「前を向いて生きていく」という事なんだろう。でも、僕は嫌だった。いまだに姉がいなくなってしまった理由が分からないのに、そんな姉を置き去りにしてしまう事だけはどうしても耐えられない。
僕は椅子に座って、美喜さんが作ってくれた分厚いフレンチトーストを食べ始めた。うん、おいしい。あの頃作ってもらっていたのと、全く同じ味だ。
変わらないものがあったっていいじゃないか、それで姉が永遠でいられるなら。僕がこの17歳という灰色の世界の中で証明してやる。そう思いながら、僕はガツガツとフレンチトーストを胃の中に収めていった。
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