第38話

鈴を鳴らしてから、火が点いた数本の線香を香炉に立てた美喜さんは、そのまま静かに仏壇に向かって手を合わせた。仏壇に飾られている姉の写真は相変わらず幸せそうに微笑んでいて、そっと両目を開けた美喜さんはそれを見るや否や、「全く、嫌になるわ」と肩をすくめた。


「どんどんあの子と年が離れていっちゃう。私、もうこんなおばさんになっちゃった」

「何言ってんの。美喜さん、まだまだイケてるよ」


 彼女の斜め後ろでその様子を見ていた僕は、間髪入れずにそう言う。とっさに出た言葉であったけど、紛れもない本心だ。そして、頭の中で美喜さんと同じく29歳になったいたであろう姉を想像した。


 確かに派手な見た目になってしまっているけれど、美喜さんはとてもきれいになった。あの頃の彼女はとにかく元気で明るくて、何事にも挑戦していく前向きなところの方が目立っていたから、幼かった事もあって僕は彼女にきれいだという印象を持てなかった。そんな彼女が大人になって、こんなにきれいになったんだから、姉だって美しくなっていたに違いない。たぶん、世界で一番。


「さっきといい、ずいぶん褒め上手になったじゃない」


 そう言って、美喜さんが僕を振り返る。また香水の匂いがした。


「瀬川君とは大違いね」

「洋一さん?」

「うん。瀬川君、かなり鈍かったから。恋人だったくせに、あの子がどんなにおしゃれしたり、彼が好きそうなものを調べて話題に持っていっても、まともな言葉で褒めたりとかしなかったわ」


 全く……と、大げさなくらいのため息を吐く美喜さん。僕は、つい一時間ほど前までこの家にいた洋一さんを思い出す。彼を、裏切り者だと思ってしまった事も。


 不思議なものだなと、僕の口元は自嘲を浮かべる。昨日まで、僕は美喜さんの方を薄情者だと思って心の中でけなしまくっていたのに、今はその対象がいとも簡単に洋一さんへと切り替わってる。でもそれは、美喜さんがこうやって姉を忘れずに来てくれたのに対して、よりにもよって洋一さんは……という思いが成し得た事だから、僕はそれに抗いようがなかった。


「洋一さん、来てたよ」

「え?」

「婚約者の人と、一緒に来てた」


 気が付いたら、僕はそんな言葉を口走っていた。美喜さんの、ヒュッと息を飲む音がよく聞こえる。彼女の香水と、線香の匂いがいつの間にか混じりあっていた。


「何、それ……」


 美喜さんの顔がどんどん強張っていく。木下を責めていた時とあまり変わりない表情になっていった。

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