第36話
「何で……」
そうつぶやいた、僕の頭の中は混乱を極めている。
今の今まで僕の中で、木下はただのクラスメイトだった。名前と顔が一致できているかどうかも怪しいくらいの脆い関係で、それこそ僕の灰色の世界の登場人物としての条件にぴったり当てはまっていた。何事もなければ卒業を迎えるまで会話どころか、満足に挨拶も交わさないままで終わるはずだった。
それがここ最近になって、木下の方から度々話しかけてくるようになって、僕の心はかき乱された。何だか怒りっぽくなったような気がするし、少なくとも姉の事を心穏やかに思う事が減ってしまった気もする。ずいぶんと僕の神経をざわつかせてくれたものだ。
そして今は、ものすごく大きな爆弾を投げ付けられた気分だ。何で木下なんだと、そればかりが頭の中をぐるぐると回っている。
そんな僕を見かねたのか、美喜さんが再び木下をにらみつけて怒鳴った。
「ほら、さっさと帰りなさいよ。いつまでいるつもりよ!?」
「えっ……」
木下はびくりと肩を震わせて、美喜さんを怖々と見上げている。そして相変わらず、ずっとアスファルト道路に座り込んだままだったから、美喜さんの声にますます怒気がこもっていった。
「早く帰らないと、警察呼ぶわよ!? あんた、自分の父親がやらかした事を知られてもいい訳!?」
「ちょっ……美喜さん!」
美喜さんの怒鳴り声に、それまで動けなかった僕の体が大げさなくらいに反応する。それではただの脅迫になってしまうし、何より今日はこれ以上の進展は望めそうにないと思ったからだ。
僕は再び木下に手を伸ばしながら、言った。
「頼むから、今日はもう帰れ。詳しい事は今度聞くから」
「……」
「木下」
木下は迷っているようだったが、僕が彼女の名前を強い口調で呼ぶと、ようやくずっと腰を落としたままだった体をゆっくりと立ち上がらせた。制服のスカートの所々に砂や埃が付いて目立ってしまっていたが、木下はそれを払い落とす素振りも見せず、深々と頭を下げてきた。
「……今日のところは、これで。また、出直してきます」
「あんただけなら、来なくていい」
木下の言葉に被せるように、美喜さんが言った。
「あの男が来ないうちは、絶対に認めないからね。分かった?」
木下はもう何も言わず、くるりと静かに背中を向けてまっすぐ歩き始める。その時の後ろ姿が、生島清司に似ているなとつい思ってしまった。
彼女の姿が見えなくなるまで呆然と見送っていた僕だったけど、ふいに隣にいた美喜さんの気配が動いて驚いた。何だと思ってそちらを見てみれば、美喜さんはうちの玄関の方に向かっているところだった。
「み、美喜さん……!?」
「悪いんだけど、今日泊めてくんないかな?」
美喜さんも振り返る事なく、だけど姉によく頼んでいた甘えるような口調でそう言ってきた。
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