第26話

菩提寺の僧侶による長ったらしい読経もやっと終わり、続けてダイニングやリビングを使った食事会という流れになった。


 とはいっても、ただでさえ少ない弔問客の大半が遠慮して帰ってしまい、残ったのはやたら声の大きな僧侶のおっさんと、遠縁のおじさんやおばさんが数人。後は、洋一さんとみゆきさん、そしてあの人だけだった。


 父はみゆきさんを連れてきた洋一さんを見て察したらしく、特に何かを根掘り葉掘り聞いてくるような事はなかったが、母は違っていた。洋一さんの中で俺がまだ小さな5歳の男の子であったのと同じように、母の中でも洋一さんはまだ姉の恋人なのだ。だから、みゆきさんを初めて視界の中に入れた時の母は、とても不思議そうに首をかしげていた。


「あら? あなた、どちら様でしたか?」

「え……」

「あの子のクラスメイト、にはいなかったわよねえ?」


 ううんと少し唸るようにして、必死に思い出そうとする母。そんな事をしたってムダなのにと思って止めようとした僕の目の前で、洋一さんがとっさに「妹のみゆきです」ととんでもない嘘を言っていた。


「妹も、あいつには結構世話になってたんです。これまではあんまり悲しすぎて来られなかったんですが、最近になってようやく心の整理が付いたって言うから連れてきました」

「あら、そうなの。じゃあ、みゆきさん、よかったらコロッケ持っていかない? あの子の大好物だったのよ」


 ぱあっと花が綻ぶような満面の笑みを浮かべてそう言った母は、いそいそと手を伸ばしてみゆきさんの腕を掴み、そのまま台所の方へと連れていく。慌てて洋一さんが引き戻そうとしていたけど、みゆきさんはくるりと振り返って「大丈夫」と返した。


「少しお手伝いもしてくるから、洋一はあっちへ……。お話しする事あるんでしょ?」


 そう言って、少し離れていた場所にいる僕と父へ順番に会釈をしていくと、みゆきさんは母と台所の奥へと姿を消した。それを確認すると、今度は洋一さんがゆっくりと僕達の方へと近付いてきた。


「すみません。このような場で無粋な嘘をついてしまって」


 洋一さんが謝るが、父は何も気にしていないとばかりに首を横に振った。


「いや、よく機転を利かせてくれたよ。ほんの少しでもあの子が生きている事を否定されると、なかなか混乱が治まらないからな」

「……お母さん、相変わらずなんですね」

「そうでもない。最近はだいぶ落ち着きを取り戻してきたよ、何も変わらないという事は決してありえない」

「……」

「君もだろ、瀬川君」

「え」

「君も、いつまでたってもあの子の恋人じゃない。君だって、もうあの時の子供じゃなくなってるんだから」


 父の言葉に動揺したのは、絶対に僕だけじゃない。洋一さんの顔がひどくつらそうに歪んだ。


「……すみません」


 少し押し黙った後で、洋一さんが再び謝ってきた。


「今回を最後に、あいつから卒業させていただきたいと思います。自分勝手な事を言って、本当にすみません」

「いや、いいよ。もうあの子に縛られる事なく、瀬川君の幸せを掴んでくれ」


 父と洋一さんが、何を話しているのか全く理解できない。分かりたくない。飲み込みたくなんかなかった。


 何言ってるんだ、この二人は。何てひどい事を言ってるんだよ……!


 僕の両手がぐぐっと強く握りしめられていく事になんか気付きもしないで、やがて洋一さんはリビングに並べたローテーブルの方へと歩いていき、あの人の隣へおもむろに座った。そしてくるりと横を向いて、あの人に気付くと「吉岡先生」と声をかけていた。


「やあ、瀬川君」


 あの人も洋一さんに気付いて、にこにこと笑いながら応える。その後は何やら話を始めていたようだったけど、僕はあまりにも強い感情を持て余していたし、仕出し料理店から届いた大皿を運んでくれと父に言われてしまったので、結局何も聞き取る事ができなかった。

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