第22話

姉の十三回忌法要の前日、つまり金曜日の放課後の事だ。


 この日は月に一度行われる各委員会の定例集会があり、いつもより帰りが遅くなった。僕が属している美化委員会もこの日ばかりは、やれ備品のチェックだの、やれ次の大掃除の範囲と係を決めるだのとそれなりにやる事が多く、気が付いたら空はすっかりオレンジがかっていた。


 明日の法要の前準備もあるし、急いで帰って母を手伝わなければと思いながら昇降口を抜けて駐輪場へと向かう。そんな僕の背中に向かって、また「あのっ……!」と呼びかける声が聞こえてきた。


「ちょっと、いいかな?」

「木下……」


 学級委員をやっている木下は、美化委員の僕なんかよりももっと取り決めとか仕事が多かっただろう。それを大急ぎで片付けてきたのか、小走りで駆けてきた彼女の息は少し上がっていた。


 島崎が不真面目な性格で助かったと思う。確かあいつはマンガが読めるからって理由で図書委員になったはずだけど、定例集会はいつもサボって帰ってしまう。木下が僕に話しかけているところなんて見られたら、間違いなく何かしらいちゃもんをつけてくるに決まってる。


 まあ、島崎本人でなくても、こんなところを誰かに見られたら、そいつ経由で伝わらないとも限らないので、僕はさっさと済ませてしまおうと「何?」と応えた。


「ちょっと急いでるから、用事なら早く言って」

「う、うん。あのね……」


 木下も周りに人がいないか気になるのか、何回かあたりをきょろきょろと見渡す。そして安心したかのようにほっと息を吐き出すと、僕をまっすぐ見つめて言った。


「あ、明日、何か予定とか入ってる……?」

「は?」

「あ、あの、できたら明日会ってほしいんだけど」


 突拍子もない、突然の申し出に僕は困惑した。正直、何でと思う。僕と木下に同じ2年A組のクラスメイトという事以上の関係性なんてひとかけらもないし、わざわざ休日に会うほどの親しさもない。まあ、それ以前の問題として、明日は。


「無理だよ」


 僕はぴしゃりと言い切った。


「明日は大事な用があって、出かけられないんだ」

「え……、大事な用事って」

「木下に関係ないし、話す必要もないよ」


 それじゃあ、と僕は足早に駐輪場に停めてあった自分の自転車にまたがり、木下の横をすり抜けた。その時の木下は顔をうつむかせていて、どんな表情をしていたかは分からない。でも、多分泣いてはいなかったと思う。そう思いたかった。


 そのまま校門を抜けていこうとしたら、そこであの人が立っていた。おそらく校門横のポストに入れられていた夕刊を事務室に届けようとでもしていたんだろうけど、いつものように僕に気が付くと、この間の事などまるで気にも留めていない様子で「やあ」と声をかけてきた。


「明日はよろしくね」

「……」


 何だか恥ずかしくて、それから悔しくなった。そういえば、木下もこの間の事を忘れてしまってるかのように話しかけてきたし、まるで僕だけが意地になっているみたいじゃないか。そんな思いを悟られるのもまた嫌で、僕は返事もせずにまたすり抜けていく。「気を付けて、さようなら」と穏やかな声が背中の向こうから聞こえてきたが、振り返る事すらできなかった。


 逃げるようにぐんぐんとペダルをこぎ続けていたら、あっという間に例の横断歩道がある交差点へと差しかかった。あの憎らしい歩車分離式信号機は青に変わったばかりだったので、僕は止まる事なく横断歩道を渡っていく。その際、あの電柱の根元が目に留まった。


 今朝も見た通りだが、今日は黄色い花束だった。僕は心の中で姉に「ただいま、今日の花束もきれいじゃん」と告げてから、残りの家路を急いだ。

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