第16話
いつも通り、母と二人の夕食を始めようかという時に、珍しく父が帰ってきた。
早く帰れる日は電話で知らせてくるのが常だったのから、母が不思議そうに「何かあった?」と尋ねてみても、父は無言で首を横に振るだけだ。かといって、昔から愛用している書類カバンは持ち帰りの仕事の資料でパンパンだったから、リストラとかそういった類が起こったわけではない事に僕は安心した。
「洋一さんから電話があったよ」
上着を脱いでネクタイを外した父が食卓に着いたのを確認してから、僕は洋一さんの事を話した。さすがに独身寮に入っていた事までは知らなかったみたいで少し驚いていたが、やがてどこかほっとしたように息を漏らした。
「そうか。洋一君、まだ独り身なのか」
「それはそうでしょ。洋一君はお姉ちゃんの恋人なのよ?」
父より嬉しそうに口を出してきたのは、母だ。母は冷蔵庫からビールと冷奴を取り出してきて、それを父の目の前に並べながらさらに言った。
「お姉ちゃん、いつも言ってたでしょ。できる事なら、洋一君のお嫁さんになりたいって。洋一君だってそのつもりですって言ってくれたじゃない」
「まあな。でも、もうそれは」
「お姉ちゃんのウエディングドレス姿、きっときれいなんでしょうねえ」
その日が楽しみだわと最後に付け加えて、母は父の側から離れる。相変わらずな母の言動に、父は少し肩を落としていた。
母の中で、姉は今、どんな姿をしているのだろう。あの日から12年という歳月を経た29歳の大人なのだろうか。それとも僕と同じく、17歳の世界にいたままの姿なのだろうか。
母と一緒にされたくはないが、それでも時々好奇心というものが出てしまって、ふとそんな事を考えてしまう。そして、どちらが「本物であるべきか」と目を剥いてしまうのだ。
そんな僕の考えを知ってか知らずか、台所でふんふんと鼻歌を歌う母の声に紛れるように、父が言った。
「洋一君、元気だといいな」
「え……、うん」
「後で、その独身寮の住所のメモを貸してくれよな。きちんとはがき出すから」
「うん」
「美喜さんも、来てくれるといいな」
来るよ。きっと、洋一さんと一緒に来る。洋一さんが連れてきたい奴がいるって言ってたから。
さっさとそう言えばよかったのに、何故か僕はその言葉を紡ぐ事ができなかった。
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