第9話
「あの……ちょっと、いいかな?」
二時間目が終わった、休み時間の事だった。次の授業は化学で、移動教室となっている。僕は移動の必要がある授業が大嫌いだったから、席を立った瞬間、相当に不機嫌な表情をしていたはずだ。そんな僕に、臆せず話しかけてきた人がいた。
「え……」
首を横に向けてみたら、そこには一人の女子がいた。当然ながら、僕よりずっと背が低い。二つに分けた髪を短い三つ編みにしていて、同い年のわりにはまだ幼さが残る小さな子供っぽい顔をしている。何を緊張しているのか知らないけど、頬がやたらと紅潮していた。
僕はその女子に「何?」と尋ねる前に、心の赴くまま、こう尋ねた。
「誰?」
「えっ……」
女子は心底驚いていたようだけど、僕にはひどく大げさに見えた。2年に進級して以降、この教室で誰かに向けて声を発したのなんて、最初のロングホームルームで強制的に行われた自己紹介の時くらいだ。僕にはあまり必要でない時間だったから、彼女の名前どころか、顔もろくに覚えちゃいなかった。
彼女もそれを察したのか、「ああ……」と納得したような息を漏らした後で、にこりと愛想笑いを浮かべながら答えた。
「私、
ああ。そういえば、そんな取り決めもこの間やったなあと、僕は思い出す。この学校にはいくつかの委員会が設けられていて、生徒は必ずそのどこかに所属しなければならないとか何とか……。僕は比較的集まる事も少なく、活動時間も少なさそうな美化委員会にしておいたが。
で、その女子――いや、木下は一度も話した事のない僕にいったい何の用だろうと様子を窺ってみれば、彼女の腕の中にはクラス全員分のノートが収まっていた。二時間目の英語――担当の
小柄なのに、ちっとも重そうな様子を見せないから平気なのかと思っていたら、木下は僕に「お願いがあるんだけど」と前置きして、言ってきた。
「これ、職員室まで運ぶの一緒に手伝ってくれないかな……」
「は?」
何で、と思った。誰かは知らないが、男子の学級委員は他にいるし、木下は僕と違ってクラスに何人か友達もいるだろう。何で、一度も話をした事のない僕にいきなりこんな事を……。
僕は、壁にかかっている時計を見る。三時間目が始まるまで、あと五分。化学教室は南校舎にあるから、今から向かわないともう間に合わない。僕は木下を振り返って、言った。
「悪いけど、手伝えない。もうすぐ三時間目始まるし」
「え……」
「他の奴に手伝ってもらうか、後で持っていけば?」
僕はそう言って、化学の教科書とノート、それから筆記用具を持って木下の横をすり抜ける。2年A組の教室には、もう僕達以外は誰もいなかった。
後ろから、何となく木下のため息の音が聞こえてきたような気がしたが、知った事じゃなかった。僕は、ここに姉が見ていた世界を探しに来ている。それ以外の事は必要なかったし、むしろどうでもよかった。
案の定、木下は三時間目に遅れてしまい、化学教室に入るなり、
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