第6話

僕が通っている高校は、自転車で三十分くらいかかる地元ではそこそこ有名な進学校だ。高校受験の際、特にそこを志望していた訳ではなかったが、かといって他に思い入れのある高校があった訳でもない僕に、母が異常なほどの圧をかけながらこう言ってきたのを覚えてる。


「お姉ちゃんと同じ高校にしなさい。一緒の学校に通えるって知ったら、きっとお姉ちゃん喜ぶわよ」


 単純だった僕は、その母の言葉に飛び付き、死に物狂いで勉強に明け暮れた。


 少しでも、姉の事が知りたかった。どうして突然僕の目の前からいなくなったのか、それほどまでに思い悩むような何かを抱えていたのだろうか。家とは違って、学校で過ごしていた時は何を考えていたのか。僕の知らない姉を、姉が一年と少し通っていたその高校から感じ取ってみたい。その一心だった。


 こうして、無事姉と同じ高校に入学できた僕は、それから毎朝母に見送られて家を出る。どんなに天気が悪い日でも、何かしらの用事でいつもより早い時間に出なければならない日があったとしても、母は必ず僕を玄関先で見送った。ただし。


「早く帰ってらっしゃいね。今日の晩ごはんは、お姉ちゃんの大好きなコロッケを作るから」

「行ってらっしゃい、お姉ちゃん」


 母は、一度だって「僕」に行ってらっしゃいを言った事はない。それも母のルーティンの一部であり、父もそれを咎めた事は一度もなかった。






 「あれ」が母のルーティンだと言うならば、僕にもそれに該当する行動が一つある。高校への通学路に、例の横断歩道がある交差点を取り入れた事から始めた事だった。


 午前7時30分をゆうに過ぎる頃になると、僕と同じように学校や職場へと向かうたくさんの人々で交差点はごった返しとなる。その上、時間差の大きい歩車分離式信号機に足止めを食らってしまえば、どの車のドライバーも、今、僕の周りで足を止めている歩行者や同じ年頃の学生達も、皆いらだった表情を隠そうともしない。


 でも、僕はやっぱりこの時間が好きだった。地方独特のメロディーが流れていく中、自転車にまたがったままで横断歩道の脇にある電柱の根元に目を向ける。特に、何の変哲もない電柱だが、いつもそこにはきれいな花束が一つていねいに添えられていたから。


 姉がいなくなってしばらくの間は、僕達家族が交代で供えていた。だが、やがて母があの通りになってしまい、「母さんが混乱するから、お墓以外で花を供えるのはもう金輪際やめよう」という父の一言でやめてしまっていた。


 それなのに、僕が高校に入学してから少し経った頃だろうか。どこの誰だか全く分からないけど、絶えずこの電柱に花を供えてくれるようになった。先週は白を基調としていた花束だったが、それがしおれてしまうよりも早く、今週はピンク色をメインとしたものがもう置かれている。


 近所の人が話しているのを聞いた事があるが、この交差点でいなくなってしまったのは、近年ではどうも姉一人だけらしい。


 という事は、この絶えず供えられ続けている花束は間違いなく姉に手向けられたもの。そう分かった日から、僕の毎朝のルーティンが出来上がった。


 おはよう、姉さん。行ってきます。


 信号機からのメロディーがやんで、青へと色も変わる。周りの人々が動き出すその瞬間まで、僕は電柱の下の花束を見つめ続け、心の中で姉にあいさつをする。そうしてから、かつて姉がいた世界に向かって自転車のペダルをこぎ出すのが僕のルーティンだった。

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