第2話
あの日も、姉と僕は二つ目の横断歩道の信号機に引っかかった。地方独特のメロディーが信号機のどこかに設置されているスピーカーから漏れ出る中、何台もの大きな車が目の前をどんどん通り抜けていく。姉が横断歩道のすぐ手前でぴたりと両足を揃えて立ち止まっていたから、僕も同じように真似しながらそうっと姉の顔を見上げた。
ちょうど昼下がりの太陽の光が姉の真上に来ていた。暑すぎず、むしろ爽やかな温度ではあったものの、かえって逆光となってしまっていて、せっかく気付かれずに見上げる事ができたというのに姉がどんな表情をしているのかよく分からなかった。もし、この時姉がどんな顔をしているか分かっていたら……そう思わなかった日はない。
なのに、5歳だった僕は「まあ、そんな日もあるよね」とさっさとあきらめてしまって、再びたくさんの車が行き交う交差点に目を向けた。公園まであと少し、姉と手を繋いでいられる至福の時が終わるまで、あとほんの少し――。
ああ、そうだ。あの公園で一番高い遊具であるジャングルジムに一緒に昇ろうと、姉を誘おう。いつもであれば、姉は公園の隅っこにあるベンチに腰かけ、いろんな遊具で遊びまくる僕を優しく見つめてくれているのだけれど、今日は誘ってみようと僕は考えた。
怖くて、まだてっぺんまで昇った事がないけど、先に姉に昇ってもらって、そこから手を繋いで引っ張ってもらえたら。
そんな事を、思った時だった。
「もう、いいや……」
えっ、と思った。特に大きな声で言った訳じゃない。信号機のメロディーと行き交う車の音にかき消されそうなくらい小さいものだったのに、そんな姉の最期の声は僕の耳にしっかりと届いた。
何がいいんだろうと思う間もなく、姉の手が僕の手からするりと解けた。そして、まるでこの世の全てのしがらみから解き放たれたかのように、ふわりとその身を道路に投げ出した。
何してるの、お姉ちゃん。まだ公園に着いてないよ、信号だってまだ赤のままだよ。赤の時は止まってなきゃダメだって、お母さんも言ってたよ。どうして僕の手を離すの? 先に行かないでよ、お願い待って――。
この次の瞬間、姉の体は信号をきちんと守っていた大型トラックにぶつかり、そのまま分厚いタイヤの下に巻き込まれて見えなくなった。これまで一度も聞いた事のなかった鈍くて醜い、肉を引き裂く音が交差点中に遅れて響き渡る。
「……きゃあぁぁぁぁぁっ!」
大型トラックのすさまじいブレーキ音に添うように、どこかの知らない女の人の叫び声が聞こえた。僕は、目の前で起こった事があまりにも唐突で信じられず、理解する事もできずに、ただひたすら呆然と立ち尽くしていた。
僕の至福の時間を手伝ってくれていた信号機がぱっと青色に変わると同時に、横断歩道には真っ赤な水たまりがどんどん広がっていく。それを目の当たりにしながらも、僕はまるで世界中から色彩がなくなっていくような感覚に襲われた。そう、ちょうど目の前のアスファルト道路と同じ灰色に。
あれから12年。僕は今、姉がいた「17歳の世界」の片隅にいる――。
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