第37話
「え?」
「ごめんね、詩織」
「どうして、塔子が謝るの?」
詩織がそう疑問に持つのは当然だった。私自身が、どうして謝っているのか分からなかったんだから。
あれだけ進学して地元に残るって言っていたのに、簡単にそれを覆したから? 発作を起こさなくなったとはいえ、家族の意向もあって自分の希望通りの進路になかなか進めない詩織に申し訳ないから? それとも、それとも……。
必死になって自分が謝っている理由を探していくけど、どうにもしっくりくるものが出てこない。どうしようとだんだん焦っていったら、それが顔に出てしまっていたのか、やがてくすっと詩織の口から笑い声が漏れてきた。
「塔子。今、ものすごく変な顔になってるよ?」
「え? ど、どんな顔?」
「そうだなあ、ひょっとことおかめが混ざったような感じ?」
「何よそれ」
「だって、本当にそう見えたんだもん」
そんな事を言うと、詩織は箸を離した両手を口元に添えて、またおかしそうに笑う。本当に就職してしまったら、もうこの笑顔を当分見れなくなるんだ。そう思ったら、何だかとても居たたまれない。なのに、詩織はいつまでもおかしそうに笑っているもんだから、こっちは逆におもしろくなくなっていった。
「笑いすぎだから」
むくれてそう言ってやると、詩織は「ごめんごめん」と言ってから、やがて私の方をまっすぐ見据えてきた。とても真剣な顔だった。
「塔子、頑張ってね」
そして、少しの時間を置いた後で詩織が言ってくれたのは、そのひと言だけだった。でも、それだけで、詩織のこれまでの溢れんばかりの思いを受け取る事ができたような、そんな気持ちになった。
それからは、詩織と特に進路について話し合うという事はなく、いつも通りの日常を送った。
体育の授業は相変わらず休んでいたが、詩織は全く発作に苦しめられる事はなく、それどころか定期健診でだいぶいい感じの結果が出たと報告してくれた事も何度かあった。
それを聞くたび、私はひどく安心していた。
根治は難しい病気だって言ってたのに、詩織はもうこんなに元気じゃないか。吸入器だって全然使わなくなったし、いつも楽しそうに笑っている。だったら、きっと詩織はこれからもこのままずっと元気に過ごして、自分のやりたい事をやっていくだろう。
たい焼きは好きなだけ食べるし、おしゃれなお店を持ったら、自分が選んだ服や小物をたくさんの人に見てもらうだろうし、いつかは好きな人のお嫁さんにだってなる。そんな欲張りな毎日を、ずっとこの町で送っていけるんだ。
そう確信できた私はやがて就職活動に本腰を入れるようになり、卒業の二ヵ月前には、とある会社の内定をもらう事ができた……。
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