第36話
高校三年、本格的に進路を決めなければならない時期に差し掛かった頃、私は詩織に思い切って打ち明けた。
「私、やっぱり進学はやめて就職しようと思う」
つい何日か前まで、奨学金制度を使って地元の大学に行く旨の話をしていた私の口から突然の方向転換を聞かされ、詩織はそれなりに混乱したと思う。珍しく動揺して、「え? 何で?」を何度も繰り返した。
「やりたい勉強が見つかったって、塔子あんなに喜んでたのに……何かあった?」
「何かあったっていうよりかは、単なる心境の変化かな? ほら、うちっておじいちゃんとおばあちゃんだけだから……」
もちろん、進路の事は何度も祖父母と話し合った。二人とも「何も気にする事はない、やりたい事をとことんやってもいいんだよ」と背中を押そうとしてくれたけど、私が小さかった頃より明らかに深いシワが刻まれて細くなった両手を見てしまったら、とてもこれ以上のワガママを言う気にはなれなかった。
「本当に就職するの?」
詩織がちらりと上目遣いで尋ねてくる。最後に発作を起こしたあの冷え込んだ日から、もう半年以上が経っている。不思議に思えるほど、あれから詩織の体調が崩れる事はなく、保健室に連れていくどころか吸入器を服用する姿さえ見なくなった。
そんな最近の私達は、お昼のお弁当を保健室ではなく、自分達の教室で食べるようにしている。一つの机を二人で挟んで食べていく中、詩織のそんな上目遣いは何だか妙に子供っぽくてかわいらしく見えた。それにちょっと笑いながら「本当だよ」と答えると、詩織は桜でんぶの乗ったごはんをひと口分食べてから、言った。
「それじゃあ、この町からは出ていっちゃうって事だよね……?」
「え? うん、まあ……そうなるかな」
いろいろと検討して、今の自分のスキルに合っていそうな会社をいくつか絞ってみたけれど、どれもこれも地元からだいぶ離れていた。無事にどこかの会社に就職できたとしても、とても毎日気軽に通勤できる距離ではないから、少なくとも私は引っ越しをしなければならない。きっと詩織はその事を憂いているんだろう、とたんに両目を伏せてお弁当を食べる手が止まってしまった。
「そっか。寂しくなるなぁ……」
きっと、そんなつもりはなかったんだと思う。でも、思わず漏れてしまった詩織の小さい声はまぎれもなく彼女の本音だ。それを聞いてしまった瞬間、私の頭の中で一年と数ヵ月に及ぶ彼女との平凡でありきたりで取り留めもないけど、とても大切な思い出が一気に蘇った。
「ごめん」
気が付いたら、私はそう言って頭をぺこりと下げてしまっていた。
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