第35話
お互いの事を名前で呼ぶようになってからの私と詩織の日々は、驚くほど平凡でありきたりで取り留めもなく、そしてあっという間に過ぎていった。
保健係として学校では絶えず詩織の側にいた私だけど、その関係性が変わった事で、まだまだ彼女について知らない事が多かったんだなあと思い知らされる。例えば、詩織の好物。まさか、こっちが胸焼けするんじゃないかと思うほど甘い食べ物を一気食いするのが大好きだなんて思わなかった。
「最後の晩餐に選ぶなら、やっぱり商店街のたい焼き屋さんのこしあんだよ! もうこれでもかってくらいに食べちゃいたい!」
お小遣いに余裕がある学校帰りの時など、詩織はよく私の腕を引っ張って最寄り駅の側にある小さな商店街の中のたい焼き屋へと連れ出した。レパートリーはこしあんだけの上、店主も無口でちょっと怖そうなおじいさんだったのに、紙袋いっぱいにたい焼きを買い込む詩織はいつも幸せそうに笑いながらそう言っていた。
一度だけ、縁起が悪いからそんな事言わないでほしいと頼んだ事がある。その日はずいぶんと冷え込んでいたせいか、詩織は授業中に少し大きめの発作を起こしてしまって、結局放課後まで教室に戻る事ができなかった。私は休み時間のたびに保健室に様子を見に行ったけど、ずっとベッドで横になっている詩織の姿に気が気じゃなかった。新浜先生に救急車を呼んだ方がいいんじゃないか、家族に連絡をした方がいいんじゃないかと何度も言ったけど、詩織の「大丈夫だから」に止められてしまった。
それなのに、のんきにたい焼きにかじりつきながら、最後の晩餐だなんて……ほんのちょっとだけ恨めしい気持ちで詩織を見やれば、彼女はまたのんきに「へへっ、ありがとう」なんて言ってきた。
「でも私、言うのやめないよ? 絶対、最後の晩餐はここのたい焼きにするし」
「だから、どうしてそんな事」
「塔子が言ったんじゃない。やりたい事があるなら、何でもやればいいって。このたい焼きを最後の晩餐にするのだって、私のやりたい事だし?」
「……」
「他にもあるわよ? 例えばね……将来はファッション関係の仕事に就きたいんだ。だから高校を卒業したら、そっち方面の専門学校に行って、いろんな服とか小物を作ってみたい。いつかはおしゃれなお店も持ちたいし、それで大好きな人達に私が選んだ服を着てもらいたいの」
「……」
「それとね、結婚もしたいな。実は結構前から気になってる人がいてね。何度かそれとなくアタックしてるんだけど、なかなか振り向いてもらえなくって……。でも、塔子が言ってくれたおかげで今もあきらめずにいられるんだ。どう? 私って結構な欲張りでしょ?」
イタズラが成功した小さな子供のように笑う詩織。やっぱり私は、詩織について知らない事が多すぎた。
こんなにおしゃべり好きだという事も、しっかりとした夢を持っていたという事も、ましてやいつの頃から恋をしていたなんて事も、何もかも知らなかった。
でも、だからこそ、それらをこうやって口に出して私に話してくれる詩織が大好きだったし、尊敬していた。詩織をサポートしているはずの私の方が、かえって彼女を見習わなくちゃと思わせられる事が多くて、そのたびに彼女の言っていた「出会いの奇跡」というものに感謝していた。
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