第25話

「やだ、もう。何それ~」


 弁当箱を抱えたまま、詩織は楽しそうに笑っていた。


「それって私、超VIPじゃん。各階に私専用の保健室とか……三嶋さんって、おもしろい発想力持ってるね」


 ひとしきり笑った後で、詩織はそう言いながら目尻にたまった涙を指先で拭った。


 これが、クラスメイトの誰かが相手だったら、私の機嫌はさらに悪くなっていたかもしれない。詩織と初めて話をした去年の体育の時みたいに癇癪かんしゃくを起こして、そのまま保健室を飛び出してしまっていたかもしれない。


 それなのに、私がそうしなかったのは、そこで初めて詩織の満面の笑みと大きな笑い声を見聞きしたからだと思う。


 いつも体育の時間、グラウンドや体育館の隅っこに座ってこっちを見ている詩織が気に食わなかった。まるでほくそ笑んでいるかのように見える表情は、もっと気に入らなかった。そんな顔しかできないもんだと、詩織の事を勝手に決めつけていた。


 でも今、目の前にいる詩織は違う。そうじゃない。目いっぱい楽しそうで、心の底から笑っている。そんな詩織を見ていたら、私の中にあったイラつきが自然と静かに消えていくのが分かった。なのに。


「でも、それだと、三嶋さんにもっと迷惑かけちゃうよね」


 そんな言葉で締めくくろうとした詩織の表情は、またどこか寂しげに見えて。せっかくいい方向に向いていた場の空気がまた悪くなってしまうと思った私は、とっさに「そんな事ない」と言ってしまった。


「これくらい、別に迷惑でも何でもないよ」

「ううん、気を遣わないで。三嶋さんにだっていろいろ都合あるだろうし、一緒に過ごしたい友達だっているでしょ?」

「……もしかして、増田君に何か言われてた?」

「……」


 気まずそうに押し黙った詩織を見て、やっぱりと思った。独り言とはいえ、あんなあからさまに詩織に対する嫌悪感を口に出す事ができた増田君なら、この子に対してバカ正直なほどの嫌味の一つや二つ、直接言う事くらい簡単に想像がつく。そう思ったら、次に私の中にやってきたのは「そんな奴と一緒にしてほしくない」という感情だった。


「大丈夫」


 だから私は、きっぱりと言ってやった。


「正直に言う。さっき、何人かの女子に声をかけたけど、誰一人ここまでついてきてくれなかった」

「……当然だよ。その中に、去年私と一緒のクラスだった子がいたら、なおさら」

「でも、私は保健係だから」

「え?」

「くじとはいえ、それで決まった係なんだからちゃんとやるわよ。南さんが具合悪くなったらここまで付き添うし、届け物があるなら全部届ける。お昼だって、ここで食べる」

「……」

「私は、ちゃんと大丈夫だから」


 そう言うと、私は弁当箱のふたを開けて、さっさと中身を食べ始めた。やっぱりおじいちゃん自慢の魚の塩焼きも入っていて、しゃべった後のせいか塩気が口の中に染み渡って、何だか昨日よりおいしく感じた。


 夢中になってそれを食べていたら、ふとくすっと小さな笑い声が聞こえた。視線だけ上げて見れば、そこには同じように弁当箱のふたを開けてこっちを見ている詩織の姿があった。その弁当箱には、私達の町の駅のホームにある桜の木々が一斉に花開いた様を連想させるような、きれいな桜でんぶがごはんの上に舞っていた。


「ありがとう、三嶋さん」


 そう言ってから、詩織はその桜でんぶの乗ったごはんをとても大切そうに食べ始めた。

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