第14話

戻ってきた甲斐崎さんの腕の中にあったのは、黒縁に囲まれた大きな遺影だった。てっきり、仏壇の中に飾ってあるのが手紙に書いてあった見てほしい遺影だとばかり思っていた私は、そこにいる詩織を見て、少し驚いてしまった。


 仏壇のフォトフレームの中の詩織は、薄いがちゃんとしたメイクを施している。少し赤みがかったピンク色のグロスがとてもよく似合っていて、それだけでも私と彼女の間に隔てられてしまった十五年という歳月の長さがよりよく感じられた。


 だが、黒縁の中の詩織は違っていた。朗らかな微笑みを浮かべている様は全く同じなのだが、メイクをしていないからどこか肌色が青白いし、唇も荒れ、甲斐崎さんと同じく頬がこけている。そして何より、入院着らしきものを身に纏っている上に、ベッドに横たわって鼻に細いチューブ管を入れている状態だった。


「詩織の、最後の写真です」


 甲斐崎さんが、私と直之を見据えながら言った。


「亡くなる二ヵ月ほど前に撮ったものです。急に頼まれましてね、撮った後はそれを遺影にしてほしいと言われました」

「ど、どうして……」


 私は愕然とした。もし、私が詩織と同じ立場だったら、こんな弱ってる姿を遺影として残すだなんて考えられない。仏壇のフォトフレームの中の詩織と同じように、少しでも元気できれいだった頃の写真にして、思い出と一緒に残してほしいと直之に頼んで……。


 そこまで考えて、私ははっと我に返った。何をバカな事を。今の私と直之の間で、そんな約束事などできる訳がない。そんな、心の底から信頼し合っていなければ叶えられない事なんて……。


 何も言えずに、ただ弱っている姿の詩織の遺影を見つめ続ける私に、甲斐崎さんが優しい声色で言った。


「あなたとの約束を果たす為ですよ、塔子さん」

「え?」

「私もさすがにこれはないだろうと思って、仏壇の方の写真を用意していたんです。ですが、詩織は頑なに嫌だと言い張りました。それは、私が一番幸せな時の写真じゃないからと」

「……」

「『塔子が言ってくれたの。あんたが幸せになる事をあきらめちゃダメだって。だから、先生と結婚できて、一番幸せな今をちゃんと切り取ってほしい。そして、私がいなくなってもきちんとそれが分かるようにしてもらいたいの、塔子と約束したから』だ、そうです。どうですか? 約束通り、詩織は幸せに見えますか?」


 ほんの少し腕を伸ばして、より近く詩織の遺影を見せてくれようとする甲斐崎さんの両目は潤んでいた。


 本当に詩織は一途で、頑固だ。一度言い出したら、絶対にやってみせると聞かない。あれから十五年経ってしまってるんだから、少しくらいごまかしちゃえとズルくなっていたって構わなかったのに。それくらいなら、別にこっちだって嘘つきとか言って怒ったりなんかしないよ。むしろ、私の方がもっとひどいんだから……。


「塔子」


 その時だった。急に、直之が私に声をかけてきたのは。


「俺だけ蚊帳の外っていうのは、何だかもう嫌になってきた」

「え……」

「さんざん疑っておいてなんだが、せっかくここまで来たんだ。俺もちゃんと知りたい、お前と詩織さんとの事」

「……」

「甲斐崎さんがこうやって覚悟を決めて、やって下さったくらいに大事な事だったんだろ。俺達の今後の為にも教えてほしい、お前と詩織さんがどんな約束を交わしていたかを。甲斐崎さんもお願いします」


 そう言うと、直之は私の方へとしっかり向き直ると、そのまま深々と頭を下げてきた。ここまで頭を下げてきたのは、不倫を知られて私がかんしゃくを起こしたあの時以来だった。


「もちろん、いいですよ」


 甲斐崎さんは快く了承すると、すぐに私にも「いいですよね?」と確認してきた。私は少しの間を空けた後で、こくりと頷き、そしてゆっくりと長い時間をかけて話し始めた。

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