第9話

甲斐崎という表札のかかった家は、程なくして見つける事ができた。


 とても立派な家だった。小さな格子状の門扉が付いた三階建ての真っ白なその家は、隣近所のそれらよりも頑丈な造りと立派な佇まいをしていて、さすがに庭まではなかったけど、窓にはそれぞれおしゃれなバルコニーのような物が設けられている。こんな片田舎ではおよそ不釣り合いと取れなくもなかったが、住人を一人失ってしまった事でしんと静まり返っているせいか、その大仰な主張性もなりを潜めて目立つとまではいかなかった。


 スマホの時計機能を見てみれば、約束の時間までまだ三十分ほどあった。まばらで閑散としているが、このあたりに座ってひと休みできるような場所や店などはない。ちらりと直之の顔を見てみれば、それなりに疲れてしまっているのかふうっとため息なんかを漏らしていた。


 予約していたホテルに行こうにも、まだチェックインの時間ではないし、そもそも距離がある。一度引き返すとなると、直之もいい顔はしないだろう。無礼を承知でインターホンを鳴らすか、それとも時間までこの門扉の前でただ待っているか……。どうにも決めかねていたその時だった。


 ふいに、門扉の奥に見えていた玄関のドアが開いた。あまりにも静まり返っていたものだから、もしかしたら買い物にでも行っているのかもしれないと思っていたけれど、そうじゃなかったのだ。ほっとした私は、門扉の格子の隙間から覗き込むように出てきた人物を見やった。


 その人物は、五十代と思しき初老の男性だった。どこか大がかりな掃除でもしていたのか、所々薄汚れた白地のランニングシャツにジャージのズボンといったラフすぎる格好をしており、同じように汚れてしまっている軍手で額の汗を拭っている。そして相当動いて疲れたのか、その次は玄関先でううんと大きく伸びをして、穏やかな太陽の光をめいっぱい浴びていた。


「甲斐崎って奴の、親戚か何かか……?」


 直之がいぶかしげにそう言う。直之の物言いには呆れたが、その意見は私も同じだった。手紙には特に何も記されていなかったのだが、私と同い年の詩織と結婚したのだから、ご主人である甲斐崎雄一郎さんだって同じような年頃だとこの時まで信じて疑っていなかった。


 だから、玄関で伸びを終えた初老の男性が私や直之に気付くや否や、恥ずかしそうに顔を真っ赤に染め上げながらも、急ぎ足で門扉に向かってきた時は本当に驚いてしまった。


「……申し訳ありません、榎並塔子さんとご主人の直之さんですよね!? もしかして、私が時間を間違えてたんでしょうか。それともインターホンが壊れていたとか? とにかく、お待たせした上にこんな格好で本当にすみません」


 門扉越しにペコペコと平謝りしてくる初老の男性は、とても細身の体をしていた。上半身も腕もひょろりとしていて、ジャージで隠れてはいるけれど両足だってそうに違いないと思えるほど着ぶくれというものができていなかった。


「え、あの……」


 あまりに平謝りしてくるものだから、私は二の句が紡げずに固まってしまう。そんな私を見かねてくれたのか、それともまだ疑っているのかは分からなかったけど、直之がずいっと私の前に立って、「はい、そうです」と答えてくれた。


「それで、甲斐崎雄一郎さんはご在宅でしょうか?」

「あ、甲斐崎は私です」


 初老の男性は頭を下げるのやめて、私達二人をまっすぐ見つめながら答えた。


「改めて、初めまして。甲斐崎詩織の夫で、甲斐崎雄一郎と申します」


 とても妻を亡くしたばかりとは思えないほどの、穏やかな物腰と声色だった。

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