第8話

甲斐崎さんの元へと行く算段が付いた頃に連絡を取った際、彼は「迎えに行きましょうか」と、とても気遣ってくれた。


『妻の最期の願いと言えば聞こえはいいが、結局は個人的なわがままでしかありません。高校の同級生とはいえ、今は遠方にお住まいである方に無理強いしているのではないかと……やはり、不躾な手紙を送ってしまった事、申し訳なく思っております』

「いいえ、いいんです。ご主人が教えて下さらなかったら、私はいつまで経っても友人の死を知る事はできなかったですから……こちらから伺わせて下さい。お言葉に甘えて、夫も同行させていただきます」


 電話でその申し出をやんわりと断り、手紙の封に書かれていた通りの住所を目指す。幸いな事に、駅からさほど離れていない。買い込んだたい焼きの紙袋が冷めずにすみそうだった。


「ずいぶん買ったんだな」


 思ったより分厚くなってしまったたい焼きの紙袋を抱える私を見て、直之が口惜しそうに言う。大方、「俺が手土産持ってやってるのに」とか「追加するなら、もっといい物あるだろ?」とか、そういった事を言いたいんだろう。今度はこっちが顔を逸らしてやってから、まるで独り言のように答えた。


「友人へのお供えに、好物を用意してあげたいって気持ちは理解できないかしら? それとも若い子に毒されて、この程度の常識も分かんなくなった?」

「……っ、お前!」

「先に言っておくけど、甲斐崎さんに失礼な態度を取らないでね? 私は潔白なので」


 念押しで言ってやれば、すぐ側でチッと舌打ちの音が聞こえた。


 いくら手紙に書いてあったとはいえ、結局は自分から行きたいって言い出したくせに。不倫をしたのはそっちのくせに。


 何だか、直之がまるで違う生き物に思えてきた。言葉も通じず、見ている風景さえ違って見えているような別世界の生き物みたいで……。


 この先、私と直之がまた以前のように寄り添える日が来るのだろうか。もし、このままの状態が続けば、もう家庭内別居では事は済まないだろう。


 そう思ったら、ふと詩織がうらやましく思えた。最期の最期まで寄り添ってもらえて、死後もこうやって自分の遺言を守って行動に起こしてくれる誠実なご主人と巡り合えた事が。


 十五年前にこの町を出ていったしまった私は、もうあの頃の詩織しか知らない。あれから詩織がどんなふうに生き、どんな最期を迎えたのか……。私は、一瞬でも早く知りたくなってすたすたと足早になる。それに気付いた直之も、大股で慌ててついてきた。

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