第5話





 手紙を読み終えても、私はその便せんから目を離す事ができなかった。


 詩織が死んだ。その事実がうまく飲み込めない。ご主人だという甲斐崎雄一郎という人の気持ちが、分かるような気がする。


 そんな、嘘でしょ。だって、だってあの子、あんなに元気だったのに。最後に会ったのは高校の卒業式だったけれど、その時もあの子は発作を起こす事なく、元気に卒業証書を受け取って、私と一緒に記念写真だって撮ったのに。


『これまで、本当にお世話ばかりかけちゃったね。塔子、ありがとう』


 校門の前で別れる時、詩織はそう言って笑った。


『私、塔子の言う通りにやってみる! 何でもかんでもすぐあきらめないで、自分の人生思いっきり謳歌してやるんだ! だから塔子も頑張ってね、いつかお互いの幸せの自慢大会やろうね!』


 大した事ないと思ってた。私と祖父母がかつて暮らしていた家があって、私が通っていた高校があった町は、ここから新幹線で二時間くらいの距離。だから、例え実家というものがなくなったとしても、いつだって帰ってこれる。いつだって故郷というものに思いを馳せて、懐かしい友人達と会う事ができる。その中には当然と言えるくらい、詩織だっていたはずなのに、私はもう十五年もあの町に帰っていなかった。


「詩織……」


 居ても立ってもいられなくなった私は、便箋と一緒に封筒の中に入っていたメモを掴む。それには確かに甲斐崎雄一郎のものらしい連絡先の電話番号が書かれていて、そこに電話をかけようと食卓の上に置いてあったスマホに目をやった。すると。


「……本当に、不倫の相手じゃないんだな?」


 この期に及んで何を言ってるのとか、わざわざ手紙を読んでみせたのに聞いてなかったのとか、そんな言葉は全部喉の途中でつっかえてしまった。それくらい直之は疑い深くこっちをにらみつけていて、私は動けなくなった。


「そういう事言うのね」


 たっぷり時間をかけて、皮肉っぽくそう返すのが精いっぱいだった。こんな冷戦状態でも、旧友を亡くした妻にもう少し気の利いた言葉はかけられないものかと。本当はこんな人だったのかと思ったら、詩織がいなくなってしまった事実も重なって、何だか情けなくなってきた。


 何も言えず、何もできないでいる時間が少し過ぎた頃だった。直之がこんな事を言い出したのは。


「……俺も行く」

「え……」

「その手紙には、お前だけじゃなくて、お前の家族も来て下さいって書いてあったんだろう? 有休取るから、好きな日取りでいいぞ」


 直之が、私の持っている便箋を指差す。その目はまだ、私への疑いでいっぱいだった。

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