第132話

「ぁ…。あぁ…、じ、じゅ…ゃ…」


 これだけ周りでごうごうと炎が爆ぜる音が響き、しかも俺はマスクを被っているというのに、何故かはっきりと聞こえた。どこかでもう一人、誰かの苦しむ声が。


 しかも、その声に心当たりがあるのか、腕の中の彼がその声に応えるかのようにじたばたともがき始めた。


「しょ、章介…!章介、どこだ!?」


 よほどの興奮状態に陥っているのか、彼は足の痛みを感じないとでも言わんばかりに動き続ける。俺は焦りながらも、さらに両腕に力を込めた。


「おい、暴れるな!早くここから出ないと…」

「待ってくれよ、消防士さん!俺、友達と一緒だったんだ!さっきまで、一緒にこの辺に…!」

「何だと!?この辺って…」


 彼の言葉を聞いて、俺は反射的にあたりを見渡すが、周りはもうどこもかしこも炎と煙でいっぱいで、その友達とやらの姿を見つける事ができない。本当にもう一人いるのか?早くしないと、俺達まで…!


 そう思った時だった。ほんのわずか、黒煙に隙間ができ、俺達より一メートルほど先の床と、そこにうつぶせに倒れ込んでいる人影が見えた。だが。


「あっ…!」


 無意識に、声が出てしまった。


 そこに倒れていたのは、腕の中の彼と同じ年頃の男性だった。何か言葉を発しようとしているが、そのたびに尋常でない量の血を吐いている。そして、とても信じられない事に、腰から下が…。


「げ、ふっ…。じ、じゅ…」


 あまりにも残酷だった。内臓まで見えているほどなのに、即死できずにひどく苦しんでいる。それでも必死に両腕を伸ばして、こちらに助けを求めているように見えた。


「ああ、章介!章介!」


 腕の中の彼が、同じ名前を何度も呼ぶ。きっとその「章介」というのが、この男性の名前なのだろう。知り合いなら、助けなければ。二人とも、絶対に助けなければ。


 俺は、その章介君という男性も助けるべく、顔をそちらに向ける。すると、章介君も俺に視線を向けている事に気が付いた。とても、必死な目だった。


 分かっている。そんな若い身空で、こんな死に方などしたくないだろう。大丈夫だ、二人とも俺が…。


「…行って、くださ…ぃ…」


 あり得ないはずだった。炎の音は絶えず俺達の周りで響き続けていたのに。よほどの大声でなければ届かないはずなのに。それほど、この章介君の声はか細いものだったというのに。


 マスク越しの俺の耳には、確かに彼の言葉が届いた。


「そい、つを…助け…。お、れの…大事な…し、んゆ…ぅ…」


 そう言って、章介君は最後の力を振り絞るように俺達に向かって両手を振った。早く行けとばかりに。

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