第129話
『natural』の中は、想像以上の地獄絵図と化していた。
元はたくさんの人達がひと時の安らぎを共有していた心地いい雰囲気の店内だっただろうに、今は紅蓮色の炎と熱量のある黒煙が全てを飲み込み、今にも崩し尽くそうとしている。
防火衣をきっちりと纏っている俺達だったが、それでもこのすさまじい熱気を完璧に防ぐ事はできない。確かに葛木大隊長の言う通り、十分が限界だった。
「…誰か!誰か残っていませんか!?」
隣に立つ飯塚が、あらん限りの大声をあげる。すると、窓際の席の所で、ゴホゴホッと咳き込む声がした。
「た、助け…」
「いたぞ上岡。要救助者、発見!」
床の至る所も燃えていたが、分厚い防火靴で一気に駆け抜けると、そこにはサラリーマン風の男が二人ほどいた。
「大丈夫ですか!?何かハンカチか、それに代わる布切れなどは持ってますか!?」
男達は必死になって、こくこくと頷く。一人はハンカチを、もう一人は首にかかっているネクタイの先を口に当てていた。
こいつらは運がよかった。炎や煙は強いが、ここからなら入り口に近い。今なら、まだ行ける。
「落ち着いて聞いて下さい。今なら、あそこの入り口まで一気に走り抜けられます。頭を守りつつ、口元から布を離さないで行って下さい。いいですね?」
「え、でも…」
「行って下さい!」
俺達が一緒に行かない事を不安がっていたようだが、いいタイミングで別の窓の外から放水が飛び込んできた。それを見て安堵したのか、彼らはまた頷くと、言う通りに従ってくれた。
彼らの背中が無事に入り口の向こうへとくぐり抜けたのを見届けると、再び飯塚が大声を張り上げる。だが、炎の爆ぜる音や立ち込める黒煙の仕切りに阻まれ、なかなか思った以上に店内には響かなかった。
いや、この場合、もう返事がない方がいい。これ以上、この状況で何の準備もしているはずもない一般人が取り残されていれば、到底無事では…。
先ほどの青年が捜していた大事な人も、きっと外へ脱出できている事だろうと無理矢理納得しようとした時だった。
「…き、みぇ…」
一瞬、何かの聞き間違いだと思った。あまりにもか細く、炎の音にほとんど掻き消されてしまっているほどだったから。だから、もう一度だけ確認するつもりで、全神経を耳に集中させた。
「おい、上岡…?」
「しっ!静かに!」
危険な現場の中で立ち止まった俺をいぶかしんだ飯塚を黙らせ、俺は聴覚だけを研ぎ澄ませる。頼む、もう一度だけ。もう一度だけでいいから、声を…!
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます