第125話

午前九時。前日勤務の隊員達との交代業務を済ませた俺は、そのまま勤務に就いた。


 数人体制で一つの班を設けている消防士。俺は葛木くずき大隊長を筆頭に、五人のメンバーからなる葛木班に所属している。その葛城班と一緒に一番最初に行うのは、消防車などの車両や消防機器の点検だ。


「現着しておきながら、何もできませんじゃ話にならん。隅から隅まできっちりチェックしろ」


 朝から葛木大隊長の野太い檄が飛ぶ。それに負けないくらいの大声で俺達は返事し、細かく隅々までチェックを怠らない。


「ウィンカーよし、サイレン作動具合よし、ポンプ圧も異常なし…」


 自分に割り当てられた消防車の点検箇所を指さしながら確認し、チェック表に書きこんでいると、ふいに背後から誰かの気配を感じた。ちらりと肩越しに振り返ってみれば、そこにはエンジンカッターの点検をしていたはずの同期・飯塚いいづかがニヤニヤと笑いながら立っていた。


「今日もばっちり気合い入ってんな、上岡。やっぱもうすぐパパになる男は違うって感じ?」

「まあな」


 同期ではあるが、現場に出ていった数は飯塚の方が圧倒的に多い。そのせいか、元が強面な上に火の熱気に焼かれて顔の肌が黒くなってしまった奴の笑みは、なかなかインパクトの強いものとなっている。少なくとも、それを初めて見る新人の消防士達にとっては、ちょっとした洗礼だ。


 本人的には全く悪意も悪気もない純然たる笑みである事を知っているから、俺はごくごく普通に返事をする。だが、飯塚には全く普通に見えてなかったらしく、重たいエンジンカッターを持ったまま俺に体当たりしてきた。


「幸せ全開オーラを垂れ流しやがって、このやろ。誰のおかげで藍子ちゃんと出会えたと思ってんだ。俺なんかまだ独身だぞ」

「分かってるって、心から感謝してます。つーか、お前が独身なのは選り好みをし過ぎるからだろ」

「俺の理想を兼ね備えた女が見つからないからしょうがないだろ。いいか、女はなぁ…」

「ロングヘアに、胸は妥協してもCカップ。くびれがキュッとしまったナイスバディがどうしたって…?」


 あまりにも飯塚が同じ事を言っているから、葛木大隊長もすっかり覚えてしまったのだろう。鍛え抜かれてすっかり太くなった両腕を厳つく組み、俺達の前に立ってにらみつけている姿は、まさに鬼そのもので…。


「いい年して恋バナするほどの余裕があるんだ。お前ら、午後のトレーニング楽しみにしてろよ?」


 どのメニューを五倍にしてやるかなと楽しげに言いながら背中を向ける大隊長に、俺はめまいを覚える。


 うわあ、どうかお手柔らかに。いや、できる事ならやらずにすみますようにと飯塚は小学生みたいに未練がましく願懸けしていたが、それは俺にとって最悪の形で叶う事になった。

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