第123話
「いいよね、公平は。薬飲むだけでいいんだもん」
処置を受けて数日の間は、藍子の機嫌が悪くなる。その理由の一つに、俺が病院から処方された漢方薬を飲む姿も含まれているのだから、正直それで気が滅入らなかったと言ったら嘘になる。何度「俺だってこんなクソまずい薬飲みたくねえよ」と怒鳴り返してやりたくなったか知れない。
それを決してやらなかったのは、藍子の努力や気持ちが目に見えて分かっていたからだ。
友達が次々と母親になっていく様を見ても、決して卑屈にならず、ネットや参考書で調べては自分に合った最善をと模索していた。体調がいい日は栄養満点の料理を腹いっぱいこしらえてくれたし、何より心身ともに自分が一番つらいはずなのに笑顔を見せてくれた。
そんな藍子の事を、心から尊敬した。
ある程度のフォローができたところで、しょせん俺は男だ。十ヵ月も子供が腹にいる重みを抱え、生まれ出てくる際の激痛に耐えきり、愛情を持って乳をやるなんて偉業は、結局母親にしかできない。それがどれだけ大変な事か、俺には想像さえ追いつかないというのに、藍子は敢えてその苦難に立ち向かおうとしている。尊敬も愛情も深くなって当然だろう。
だが、そんな日々を数年続けたというのに、自然妊娠は叶わなかった。結婚八年目、病院に通い出して二年目。俺達は担当医の勧めもあり、本格的な不妊治療に切り替えた。
比較的費用がそう高くかからない、一般的な人工授精法を選んだのは藍子だった。「これなら、公平の仕事にも迷惑かからないよね」とまた笑顔を見せてくれた時は、本当に申し訳ない気持ちになった。だから、藍子とは別に通院して、その――準備の為にやる行為は、藍子の方が大変な思いをしてきてるんだからと思う事で、恥だと認識する事がなくなった。
だが、やはりこれまでの事もあるのか、人工授精でも妊娠は難しく、担当医の「残念ですが…」という言葉を聞くたびに藍子は元気をなくしていった。
もう四捨五入すれば四十路に近い年齢になってきた。いくら晩婚化が進んで、親の年齢層が高くなってきているとはいえ、ここまで子供が欲しいと願って頑張っている彼女にあまりにもひどい仕打ちではないかと、神や仏を恨んだ事もある。
四回目の人工授精失敗の時、一緒に帰宅した藍子が「…離婚しよっか」なんて言い出した時は、心臓が止まるかと思った。
「これだけ頑張っても来てくれないなんて、私、女失格なんだよ。お母さんになれないんだって、神様からそっぽ向かれてるんだよ。そんな女が奥さんなんて、公平も嫌でしょ…?」
「そんな訳あるか!大丈夫、次こそきっと!」
冗談じゃないと思った。絶対に嫌だ。
藍子が女失格なら、俺だって男失格だ。長い時間妻と一緒にいてやる事さえできない、情けない奴だ。
だけど、こんな失格ぞろいの両親の元でもいいからとやってきてくれる命があるのなら、絶対に大事にする。命ある限り守り抜いて、とびきりの幸せを味わわせてやるんだ。
そう願って挑んだ五回目の人工授精が成功し、藍子はやっと妊娠する事ができた。とても幸せそうだった。それなのに、どうして…!
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