第四話 うちの子供は生まれてくる事さえできなかった
第120話
「…おめでとうございます。妊娠されていますよ」
長い事、俺達夫婦を診てくれていた産婦人科医がそう言ってくれた瞬間、世界が変わった。
十年という長い不妊治療を経て、ようやく妻の――
「公平。私、私っ…!」
人前だというのに、感極まった藍子は何の遠慮もなく涙をボロボロと流す。その両手は、まだ厚みのない自分の腹に添えられていた。
「ごめんね。長い間待たせちゃって。これで、本当に。本当にっ…」
「よく頑張ったな、藍子。本当によかった」
ふと横を見れば、いつも藍子を気遣ってくれていた担当の看護師もうっすらと涙を浮かばせていた。何度も着床に失敗し、そのたびに泣いて自分を責めていた藍子を励まし、親身になってくれた女性だ。職業柄、ずっと一緒にいてやれない俺なんかより、よっぽど心の支えになったに違いない。
「皆さん、ありがとうございます。本当にありがとうございます!」
診察室にいる全ての人に向かって、俺は深く頭を下げる。看護師が鼻を啜る音が聞こえた。
「いいや。まだまだこれからですよ、お父さん」
産婦人科医が、ほんの少しだけ声を震わせながら言った。
「安定期に入るまで、決して無茶はしない事。体調や体重管理を徹底して、母子ともにベストな状態で本番に臨みましょう!」
そうだ。彼の言う通りだ。
あくまで、まだ第一段階をクリアしただけ。まだこれからだ。無事に生まれてきてくれるその瞬間まで、絶対に油断はできない。
「もちろんです」
それに対して、藍子は力強く答えた。
「私、絶対に元気な赤ちゃんを産みます。十年待ったんですもの。あとたった十ヵ月くらい、何が起こったって踏ん張ってみせます」
母親というものは、こんなにも頼もしくなるんだな。ついこの間まで、「また失敗だったらどうしよう」と弱々しくうなだれていたというのに。
俺も今以上に強くならねばと、心に誓った。ずっと苦労していた妻と、これから生まれてきてくれる新しい命。何があっても一生守り抜いてみせると固く誓った。
それなのに。
これから半年も経たないうちに、俺と藍子は地獄を見る事になった。
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