第108話
何の音だ?そう思いながら、とりあえず上岡さんの身体の向こうを覗きこんでみた。
街灯があまりない道路だったから、そちらはずいぶんと暗くて何かの影一つ見当たらない。ただ、音だけが聞こえてくる。
べちゃ、びちゃ…。ぐちゅ、ずるっ…。
何だ、これ。少しずつ近付いてくる上に、だんだんその音も変わってくる。液体が落ちているというより、何か水気を含んでいる重い物をゆっくりと引きずっているかのような、そんな感じの音だ。
「何だ…?上岡さん、何か聞こえてきませんか?」
俺の気のせいなら、笑い飛ばしてもらって構わない。そう思って視線を上岡さんの方へと戻すと、彼の顔はものすごい事になっていた。
とにかく、これ以上ないってくらいに青ざめていた。両目は大きく見開いているし、走ってきた時以上の汗がダラダラ流れて止まらない。半開きになっている唇の間からは、たばこのせいか少し黄ばんた歯がカチカチと鳴っていた。
「ど、どうして…」
暗い道路の方に向き直ると、上岡さんは少し震える声で言った。
「どうして遠藤君の所まで…。俺だけなら、まだ分かるのに…」
「か、上岡さん?」
「あの子が不甲斐ない俺を責めていたのなら、まだ分かるんだ。俺はひどい夫で、ダメな父親だったから…」
「……」
「でも、遠藤君は違うだろ。だってあの時、君は…」
上岡さんは俺の前に立ち、正面を見据えながらそんな事を小さくつぶやくように言っている。何を言ってるのか、全く意味が分からない。独り言のわりには、まるで誰かと話をしているようで…。
「上岡さん?どうしたんですか?」
彼があまりにも不審な言動をするものだから、俺は不思議に思って彼の横に立とうと松葉杖を動かした。だが、一歩分動かしたとたん、ものすごい剣幕で上岡さんが怒鳴ってきた。
「ダメだ、今は逃げろ!」
「え…」
「俺の時とは違うかもしれない!だから早く!」
何を突然言い出すのかと思ったら、逃げろ?何から?さっきのマスコミの記者達からか?
そうは言っても、暗い道路の向こうからは人影一つ見えやしない。かろうじて見えてきたのは、どこかの住民が適当に捨てていたと思えるゴミ袋のようなもの、で…?
ずるっ、びちゃ…。
「え…?」
ゴミ袋だと思っていた。大きさ的にもそんな感じだし、暗くてよく見えなかったけど、絶対そうだって。
でも、違ってた。だって、ゴミ袋って無機物だろ。無機物は、自分で勝手に動いたりしないよな?さっきから聞こえてくる変な音を立てながら、こっちに向かって這うように近付いてきたりしないよな…?
そのゴミ袋みたいなものは、俺と上岡さんから数メートル離れた所までやってきた。そこには数少ない街灯がようやく一つ立っている場所で、ぼんやりとした光の中、その正体が現れそうになって…。
「ダメだ、見るな!!」
それが視界に入りそうになった瞬間、上岡さんが思いきり俺を突き飛ばした。
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