第103話
待てよ。ちょっと、待ってくれよ…。
どこ行った?誰よりも力強く、誰にも追いつけないほど速く走る事のできる章介の両足はどこ行った?
つい何時間か前まで、章介はその両足で一位を獲ってたんだぞ?だから、奈津美に告白するんだってあんなに息巻いてて…。
それなのに、何だよあの姿は。
下半身がないとか、そんな言葉はあまりにも生ぬるい。腰から下がいびつな形で無理矢理引きちぎられていて、そこの傷口から出血の為に変色した腸がべちゃりとはみ出している。それに気付いているのかは分からなかったが、章介は苦しそうに顔を歪めながらも、何とか無事な両腕を使ってこちらに這いずろうとしているようだった。
「ぅ…あっ…」
「章介!」
章介の力なく伸ばされてきた右手が、ゆらゆらと揺れている。それに何か言いたいのか、口をパクパクと動かしていた。
分かってる。誰だってこんな状況じゃ、怖くて仕方ないよな。大丈夫だ、俺もこんなザマだけど一緒に逃げよう。その後で、さっきのケンカの続きやるぞ。
俺はその手を掴もうと、消防士の腕の中から必死に自分の手を伸ばそうとした。
なのに。
「…すまない」
消防士がぽつりとそう言うと、章介の横をすり抜けて外に向かい始めた。信じられなかった。
「お、おい!」
まるで章介が見えてなどいないかのように、俺だけを連れて消防士はどんどん足を進めていく。俺はその襟元を掴んで揺さぶった。
「おい、待って!待ってくれよ!そこだよ、そこにいたのが章介なんだよ!」
「……」
「止まれ、戻れよ!章介を置いていくな!章介も助けてくれよ!!」
「……」
「おい、聞いてんのかよ!?止まれって…」
あまりにも言う事を聞いてくれないから、消防士の顔をマスクごと殴ってやろうとした時だった。ふいに、俺達の背後でガラガラガラッと大きく何かが崩れ落ちる音がした。その一瞬後。
「ぎぃやあああああ!」
俺はたぶん、一生忘れられないと思う。つんざくように響いた章介の最後の断末魔の声を。
「…っ、くそったれえええ!!」
その次に叫んだのは、消防士だった。俺を抱えたまま、『natural』の入り口ドアから外へと飛び出し、少し離れた所で一緒に崩れ落ちる。そして、とても悔しげに、とても悲しげにそう叫んでくれたんだ。
俺は、そんなこの人を冷酷だと思う前に意識を失った。
だから、『natural』の焼け跡から章介の遺体が発見されたと聞いたのは、それから半日経ってからの事。病院のベッドの上での事だった。
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