第94話

章介は嫌味なく、本心から謙遜しているけど、俺よりはるかに実力があった。俺がその事に気が付いたのはもうずいぶん前の事で、さんざん悩んだ後で顧問に長距離専門に種目を変えたいと申し出た。


 その事を知った章介は、いまだに納得してくれない。何でだよ、同じ種目で頑張ろうぜ、また一緒にリレーしようとかいっぱい言ってくれたけど、全部素通りしている。心の中で何度もやめろよと言いながら。


 だから、いいじゃないかと思ったんだ。お前にはものすごい才能があるんだから、一個くらい手に入らないものがあったって…。


「残念だったな、マネージャー来れなくて」


 この日、奈津美は大会に同行できなかった。俺達選手は学校に忌引届を出していたが、奈津美は中間テストで赤点を二つも出すという失態を犯し、三週間の部活禁止を顧問から命じられていた。


 だからよけいに思いが募ってしまったんだろう、章介は奈津美に話があるから聞いてほしいなんて切り出したんだ。本当、お前って…。


「いいんだよ。見てもらえないのは残念だけど、絶対に一位になるし。そしたら、俺の口から直に報告して、それから」

「告白ってか?」

「…まあな」


 章介が答えたと同時に、グラウンドの敷地のあちこちに設けられているスピーカーから案内のアナウンスが流れた。あと十分弱で、百メートル走決勝が始まる。


「行ってこいよ」


 ぽんっと章介の背中を軽く押す。章介は肩ごしにこっちを向いて、いつもの口癖を出した。


「おう!一発かましてくる!」


 小走りでスタート位置へと駆けていく章介。俺はどんどん小さくなっていく背中を見つめながら、ジャージのポケットに入れっぱなしだったスマホを取り出した。


 LINEのトーク画面を呼び出す。一番上に、奈津美の名前があった。


『もうすぐ杉田君のレースが始まるんじゃない?』

『どうしよう、本当に一位取られたら』

『淳也、あたしどうしたらいい?』


 さっきから、奈津美の不安そうなメッセージばかりが届いてる。俺は一瞬でも早く安心させてやりたくて、次の返事を送った。


『大丈夫』

『たぶん一位は取るだろうけど、俺からうまく話す』

『最悪、縁切る覚悟』

『奈津美の事は俺が守るから』

『何も気にするな』


 陸上部の悪しき伝統を守らなかったのは、章介だけじゃない。中間テストの前から、俺と奈津美は付き合っている。それを、章介はまだ知らない。


 …本当に、ベタな話だ。

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