第93話
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六月十三日の木曜日。あの日は、週明けまで降り続いていた梅雨独特の大雨がやっと上がって、空いっぱいに澄んだ青色が広がっていた。
高校選抜陸上大会・地区予選の二日目だった。本当なら先週の土日に開かれる予定だったけど、天気予報通りの大雨となったせいで木曜まで順延されてしまったんだ。
この時点で、章介の運命は決定付けられてたのか?もし、土日に雨なんて降ってなければ、章介の心は傷付いたとしても、死ぬなんて事は絶対になかったはずなのに。
「…俺さ。一位取ったら、奈津美ちゃんと
あの時――男子百メートル走の決勝のレースに向かう直前になって、タンクトップ姿の章介が俺に言ってきた。
百メートル走は、章介が一番得意としている種目だった。毎日欠かさず繰り返しているトレーニングのおかげで、章介の全身にはきれいで無駄のない柔らかな筋肉がついている。それだけで、他の選手の奴らとは明らかに差ができていた。
「マジか?」
間髪入れずに俺がそう返すと、途端に章介はへらっと少しだけだらしない笑みを浮かべた。
「うん。昨日頼んでみたらさ、決勝で一位を取ったらねって言ってくれてさ。だから俺、思いきって…!」
章介の両手のこぶしが胸元まで持ち上げられて、ぐっと固く握りしめられる。それを、俺はずいぶん居心地の悪い思いで見つめていた。
ずいぶんとベタな話だ、章介から恋愛の相談を持ちかけられたのは。
まだ誰にも言ってないんだ。淳也だから話すんだぞとずいぶんと念押しされた理由も、話を全部聞いた後で納得した。
うちの陸上部には創部当時から、部内での恋愛を絶対に禁ずるというずいぶんとかび臭い伝統的な掟があった。
何の根拠もないが、その掟を代々守ってきた事で我が陸上部は輝かしい戦歴を残してきたんだそうだ。その話を先輩達から口すっぱく聞かされてしまっては、例え悪しき伝統だとしても守らざるを得ないという心境にされやすくなる。
だが、章介はその掟には従わなかった。人知れず、マネージャーをしていた奈津美にずっと思いを寄せていて、親友の俺だけに打ち明けてくれた。その瞬間から、俺はずっと居心地の悪い思いをし続けている。
そんな俺の事なんか全く気付きもしないで、章介は心底ほっとしたような顔で話を続けていた。
「淳也が長距離に鞍替えしてくれてよかったよ。同じレースに被ったら、一位取るどころじゃないもんな」
「またそんな事を。お前の方が実力は上だって何度も言ってるだろ」
「そんな事ねえってば」
いつの間にか章介のこぶしは開かれていて、その手のひらが俺の肩をするりと撫でる。同じだけトレーニングしてるのに、俺の身体は章介と比べるとまだ薄っぺらかった。
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