第92話
章介の部屋は、何も変わってなかった。
中学の時から総なめにしてきた陸上大会の賞状やトロフィーが所狭しと壁伝いに並んでいるが、それらが全然邪魔にならないくらい、部屋の中心はきれいに片付いていた。
勉強机がない代わりに、小さなローテーブルが置いてあって、そのすぐ側に陣取るのはゲーム専用にしていたミニテレビ。何度も対戦して遊んだっけ。
ミニテレビの反対側に鎮座していたのは、少し大きめのベッド。来客用の布団がないって事で、中学までは泊まるたびに一緒に並んで寝ていた。最近は徹ゲーばかりしてたから、一緒に寝るなんて絵面がひどい事はしてなかったが。
そんなベッドの中で、章介が静かに横たわっていた。
あの消防士さんに抱えられて、燃え盛る喫茶店から最後に連れ出されてきた時は、確か額のあたりが真っ黒になってたけど、今はそこに白いガーゼが当てられていて、あまり気にならない。
顔以外は布団にすっぽり覆われているから、全く月並みな言い方だけど、ただのんきに眠っているだけに見える。今にもすうすうとまぬけな寝息が聞こえてきそうだ。
嘘だろ、と思った。
あの時、あんなに痛そうにしていたのに。あんなにすごい叫び声をあげていたってのに、お前、何でこんな穏やかに目を閉じていられるんだ。何で、何で…。
「きれいな顔して寝てるわよね」
立ちっぱなしでベッドを見下ろしている俺の横にいる章子さんが言った。
「こうやって帰ってきてくれた事だけでも感謝しなきゃね。中には、損傷がひどくて顔の判別もできない人もいたらしいし」
「…被害者の会には入らないって聞いたんだけど、本当?」
「本村っておじさんがやたらしつこく誘ってきたけど、ずっと断ってる。賠償金も最低限しか受け取らないつもりだし、あの喫茶店の奥さんが来たらちゃんと謝罪も聞く。あの人もご主人失ってつらいんだし」
「何で?あのオッサンがガスボンベの管理を怠ってたのが原因だって言ってたのに…」
「正直ね、だから何って感じなの」
そう言うと、章子さんはゆっくりとしゃがみこんで、静かに目を閉じている章介の頭を優しく撫で始めた。
「何がきっかけとか原因とか、そんなのどうでもいい。何がどう分かったところで、章介は帰ってこない。もうすぐ棺桶に入れられて、明後日の今頃には骨になってんだから」
「章子さん…」
「見てよ、淳也君。章介、こんなに小さくなっちゃって。私一人で抱えてここまで運んだの。何だか昔を思い出しちゃった…」
最後の方は、もう嗚咽が混じってた。俺は章子さんの背中の方へと回って、決してその泣き顔を見ないようにした。
章介を覆っている布団は、上半身の部分までしか膨らんでいなかった。後は腰のあたりから不自然なほどぺしゃりとへこんでいて、全く厚みがない。
そこを確かめたいとは思わなかったし、二度と見たくないと思った。
あの日、あの燃え盛る喫茶店の中で、俺はその姿をしっかりと見てしまったんだから。
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