第89話
生まれて初めて手に持った松葉杖は、思っていた以上に使い勝手が悪かった。
ドキュメンタリー番組とかじゃ、何人もの患者がいとも簡単そうに使いこなしていたっていうのに、どうにも俺の手に馴染んでくれない。
ぎこちなく、ひょこひょこと前に突き出しては後ろに引くたびに、ギプスをはめた右足が痛むような気がする。そのせいで余計に体力を使ってしまって、章介の家の前に着いた時にはすっかり息が上がっていた。
おい。ふざけんなよ、俺の身体。これより何十倍も何百倍もきつい練習をこなしてきただろ。十キロのランニングをしたところで、ここまで息が上がったか?
いくら昨日まで入院してたからって、こんなに体力が落ちてるなんて…。
無理矢理退院させてもらった手前、親に送ってもらいたいなんてさらにワガママ言えねえと思ってたけど、こんな事になるなら素直に送ってもらえば…。
そう思った時だった。
「…なあ!あれ、被害者の高校生じゃないか!?」
知らない誰かの大声に、びくっと全身が震えた。
思わず反射的に顔を上げてみると、通夜の様相で重々しくなっているはずの章介の家の玄関前に、たくさんの人間達が群がっているのが見えた。
そいつらは喪服を着ている訳でもなければ、せめてもの黒い腕章を着けている訳でもない銘々の私服姿だ。その手には分厚い一眼レフカメラやボイスレコーダー、マイクなんかを持っていて、ひと目でそういう奴らだと分かった。
「おい、話聞くぞ!」
誰か一人がそう言ったと同時に、まるで砂糖に群がるアリのような勢いで、そいつらは一気に俺の元へとやってきた。ドドド…と響く足音と空気の揺れに驚いてしまって、俺は身動き一つ取れずに囲まれた。
「杉田章介君と一緒にいたお友達の方ですよね!?事故の詳細をお聞かせ願えますか!?」
「あなたが一番最後に救出されたとか…。その際、消防士が杉田君を見殺しにしたという情報が入っているのですが、それは事実なんでしょうか!?」
「今回の事故において、喫茶店のオーナー夫妻に対するお気持ちを聞かせて下さい!」
バシャバシャとカメラのフラッシュが俺を照らし、何の遠慮もなくマイクやボイスレコーダーが向けられてくる。
俺の口は何も答えられないくらい固まっていたのに、頭の中は嫌に冷静だった。
奈津美を連れてこなくて正解だったなとか、あの事故に巻き込まれた高校生は俺と章介だけだったから珍しいんだろうなとか、あの時の消防士さんはそんな冷酷な人じゃねえよとか…。
いろいろ言ってやりたかったのに、何も言えない。情けなく、かかしみたいに突っ立っていたら、そいつらの輪の向こうから久しぶりに聞く声が響くように届いてきた。
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