第63話

おじいちゃんが退院したのは、それから二日後。さらにおばあちゃんの遺体が警察から返されてきたのは、その翌日だった。


 あの喫茶店の火事は、地元のニュースや新聞でも大きく取り上げられた。原因が原因なだけに、おばあちゃんの遺体は司法解剖に回され、あちこち調べられた。


 そんなの意味ないのにって思った。どんなに偉い人がおばあちゃんの遺体を調べたところで、それが何になるんだろう。おばあちゃんは生き返らないし、おじいちゃんもすぐに元に戻る訳じゃない。


 家に戻っても、おじいちゃんは相変わらずだった。


 記憶の混乱は全く治る様子もなく、ずっと自分の名前を呟き続けている。


 それどころか、ふとした拍子にあたしと目が合うと、必ずあたしを「きみえ」と呼ぶようになった。


「きみえ、明日は木曜だったなぁ」

「『natural』のコーヒーは絶品だぞ。いい加減、きみえも飲んでみろ」

「きみえ、出かける支度はできたか?」


 お父さんもお母さんもお葬式の準備で忙しくて、おじいちゃんの戯言に付き合っている暇はない。お母さんがなだめるように、あたしにこう言った。


「おじいちゃんの話を聞いてあげて。車イスがなきゃ動き回る事もできないから、変に気負う必要もないの。ただ、話を聞いてあげるだけでいいのよ」


 お母さんの言う通り、おじいちゃんは食事とお風呂、そしてトイレに行く時以外は、ほとんど自室にこもっていた。その上で、おばあちゃんを呼ぶ。「きみえ、きみえ」と声をあげるたびに、あたしはおじいちゃんの部屋に行った。


 あたしが部屋に入ると、おじいちゃんは嬉しそうに微笑む。おばあちゃんと他愛もない話をしている時、おじいちゃんはいつもそんなふうに笑っていた。


 記憶が混乱してるという事は、おじいちゃんはおばあちゃんがもうどこにもいないって事をまだ分かってないんだろうか。そうじゃなきゃ、あたしなんかをおばあちゃんと見間違えるはずないもん。


 あたしとおばあちゃんは、そんなに似ていない。


 子供の頃、ほんの何回かおばあちゃんの若い頃の写真を見せてもらった事がある。


 今のあたしと同い年くらいで、どこかの工場に勤めていた頃の写真だと言っていたような気もするが、どう見てもあたしと全然似ていない。いかにも昔の人ですと言わんばかりの、素朴な顔立ちだ。


 似ても似つかないあたしの顔を見て、どうしておばあちゃんだと思い込めるのか。どうして黒服を着た葬儀社の人達が廊下を通り抜けるたびに、「きみえ、今日は何か祭りでもあるのか?」なんて言えるのか。


 返事をしなくてもいいとは言われてたけど、あたしは声を大にして言いたかった。おばあちゃんは、客間に置いてる棺桶の中だよって。

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