第61話

『この間はカステラありがとうな。うまかった』


 工場の外へ連れ出してすぐ、おじいちゃんは持っていた紙と鉛筆を使って、筆談を始めた。


 それをほんの少しの間じいっと見ていたおばあちゃんは、やがてにこっと笑うと、どうって事はないとばかりに首を横に振ったんだそうだ。


 嘘つけ、とおじいちゃんは思った。


 新入社員の安月給でそうほいほい買える代物じゃねえだろとか、そんなつもりで助けたんじゃないとか、いろいろと言葉が飛び出しそうになったけど、それをぐっと我慢して、ズボンのポケットの中のこんぺいとうを取り出した。


『これやるよ』


 おばあちゃんの腕を取って、その手のひらにポンとこんぺいとうの入った袋を落とす。おばあちゃんは不思議そうに首をかしげてたけど、袋の口を開けてその中身が見たとたん、ひどく慌てだした。


「ぁ…あ~め!ひょ、んあ…たぁい…もぉ…!」

「うん?まさかもらえないとか言いたいのか?ダメだ、それはもうあんたの物」

「うぅ…。うぅあ…」


 おばあちゃんは何度も首を横に振り続ける。この時代、こんぺいとうはカステラと同じくらいの贅沢品だったみたいで、手に取って間近で見たのも初めてだったらしい。


 何の着色もされていない真っ白なこんぺいとうは、まるで光り輝く宝石のようだったとおばあちゃんは言っていた。だから、とても受け取れないとは思ったが、そのきれいなこんぺいとうから目を離せなかったそうだ。


 そんなおばあちゃんの隙を突いて、おじいちゃんは素早くこんぺいとうの袋からさっと一粒取り出す。そして、おばあちゃんの口の中に素早く放りこんだ。


「ふぅ…!?」


 反射的に口元を抑えたが、生まれて初めて味わうじんわりとした優しい甘味が口の中いっぱいに広がって、おばあちゃんは何だか泣きそうになった。


 おいしい。甘くて、口の中で静かにとろけていって、優しい気持ちになる。こんなにおいしいもの、初めてだ…。


 感動して、すっかり固まってしまっていたおばあちゃんだったが、ふいに目の前にずいっと紙切れを差し出されて驚いた。


『俺は、安西正之助。あんたは?』


 ちょっと照れ臭そうに顔を背けながら、そう書かれた紙を突き出しているおじいちゃんに、おばあちゃんは何の迷いもなく持っていた紙とペンでこう返事した。


『きみえです』

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