第59話

それからまた一週間後の、三回目の木曜日。おじいちゃんはこんぺいとうの入った小さな紙袋を持って、織物工場にやってきた。


 下戸の上に甘党であるおじいちゃんの手に渡ったカステラは、あっという間におなかに収まってしまった。よほど吟味してくれたのか、しっとりとした味わいぶりであり、仲間の前でだらしなく頬が緩んでしまったくらいだ。


 女から菓子をもらうだなんて生意気な奴だと、仲間からさんざんからかわれたものの、おじいちゃんはおばあちゃんの心遣いが嬉しかったそうだ。


『あの時、おじいちゃんがおばあちゃんを庇ってくれたのも、特に大きな理由はなかったんだって。ただ、とっさにそうしちゃったんだって恥ずかしそうに言ってたわ』


 おばあちゃんはそう教えてくれたけど、あたしはそう思わない。下心のない善人ぶった男なんて今も昔もいないと思うし、そうでなきゃ、お礼のお礼なんて買いもしないとも思うんだけどね。


 まあとにかく、おじいちゃんは工場の敷地内に停めたトラックから降りると、真っ先におばあちゃんを捜した。


 事務室の横を迷う事なく通り過ぎ、何十もの機織り機が並ぶ工場の中へと入る。でも、ちょうど作業中の時間で、カタンカタンと独特な機織りの音が響き渡って、どこにおばあちゃんがいるのか分からない。そもそも。


(…あ。そういえば俺、あの子の名前知らねえわ!)


 好物のカステラをもらった事が嬉しいあまり、いい年をしてはしゃいでしまった。お礼のお礼は持ってきたものの、よく考えてみれば「ありがとう」を言ってないじゃないかとおじいちゃんは慌てた。


 どうする?社長さんに話してみるか?いや、しかし、名前も分からないのに何十人といる社員のうちの一人を教えてくれというのも乱暴な話だろ。


 どうしよう、どうしようとおじいちゃんが悶々としてた時、ふいに「安西さん」と後ろから肩を叩かれた。


 思わずピント背筋が伸び、「は、はいっ!」と勢いよく返事をしてしまったおじいちゃんに驚いたのは、事務員のおばさんだった。まだ納品の時間まで一時間以上あるのにどうしたのだろうと、気になって声をかけてくれたらしい。


 以前からわりと気安く話ができる人だったので安心したおじいちゃんは、この人に尋ねてみようと決めた。

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