第46話

その日は、おばあちゃんが検品係になっていた。


 仕上がった婦人服用の織物をかごにいくつも詰めて、手押し台車に乗せる。そのままトラックの前で待っている運転手の所まで持っていこうとしたそうだが、車輪が何かに引っかかって、盛大にかごをぶちまけた。


 どこにも汚れやシミの付いていない新品の織物が地面に散らばり、おばあちゃんは慌てた。急いでかき集めたそうだが、運の悪い事に、織物の一つが汚れた水たまりの中に入ってしまっていた。


 しかもそれは、納品する中でも一番値段が高い奴だった。泥水のしみた織物なんて売り物にはならない。納品前だったから、全て工場の損失になる。


 どうしよう、どうしようとおばあちゃんが混乱していた時だった。ふいに、自分の横を誰かの影が通り過ぎていったのを感じた。


 最初、おばあちゃんはそれを頑固で偏屈者の工場長だと思ったらしい。おばあちゃんの障害を理解するどころか協力すらせず、一番おざなりにしてくるような人だったと。


 でも、そうじゃなかった。通り過ぎたのはツナギ姿の工場長じゃなくて、Tシャツに作業ズボン姿の若い男の人で。


 その人は泥水まみれの織物をゆっくり拾い上げると、あたりを窺うように見回してから、もう一度…というより、わざと織物を水たまりに落とした。


「わあ、やっちまったぁ~!すいません、大事な商品を汚しちまいましたぁ!」


 おばあちゃんには全く聞こえていなかったけど、その男の人はわざわざ工場の方に向かって大声でそう叫んだらしい。当然、皆がその大声に集まってきて、泥水まみれの織物を見て驚愕と怒りの声をあげた。


「本当にすんません!もちろん、こっちの方で弁償させていただきますから…!」


 すごい形相で口を動かしている仲間達と、ペコペコと頭を下げている男の人。


 何を言ってるのかは分からないけど、きっとこの人は私を庇っているんだ。私の代わりに皆に叱られている――。


 そう感じ取ったおばあちゃんは、男の人と仲間達の間に立って首を横に振った。メモ帳と鉛筆の存在を忘れるほど必死だった。


「ひぃ…あぅ。ひぃぎゃ…ぅんえうぅ…!」


 違う、違うんです。そう言ってるつもりでも、おばあちゃんの言葉になっていない発声は誰にも意図が伝わらない。


 それでも何とか伝えようとした時、後ろから男の人が肩を叩いてきた。


「いいよ、大丈夫」


 もちろん、それも肩越しに振り返ったおばあちゃんには聞こえていない。でも、これがおじいちゃんとおばあちゃんの出会いになった。

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