第36話
「…美香ぁ~!!」
大きく息を飲み込んだ後、親父さんは一目散にドアの元へと走り、ぐったりと座り込んでいる娘の身体を支えた。
行方不明の遺体が戻ってきたとは思わなかったらしい。おそらく、どの親でもこう思うだろうと前置きしてから、親父さんは言った。「美香が生き返ってきてくれた。本気でそう思った」と…。
だが、親父さんの両腕が美香の細い肩を掴んだその瞬間、そんな淡い思いはとても儚く消えた。
とても、冷たかったそうだ。全く血の気が通っていない、氷のように冷たすぎる身体。そして、頬の切り傷を隠す為だけの白いガーゼも、欠けてしまって見えない右腕も、何も変わっていなかった。
それなのに、美香は動いたのだという。ほんのわずか、ピクリとした程度に肩が揺れて、うっすらと両目のまぶたが開いた。
恐ろしいとは思わなかったそうだ。確かに死んでいるのに、動いている。ゆっくりとまぶたが開いて、自分を見つめようとしている様を、親父さんはしっかりと目に焼き付けていた。
どうしてこんな現象が起きているのか分からないが、おそらくこれが最後だろう。娘は最後の力を振り絞って、目を開けてくれている。そう思い至ったら、もう心の中で何度も「頑張れ」と呪文のように唱え続ける事しかできなかったという。
瞳孔が完全に開ききっているその両目が、親父さんの姿を映し切った時だった。美香の口元が微かに、だけど確かに笑みを浮かべた後、ひどくか細い声をそこから発した。
「…お父、さん。わ…たし、たもちゃ…に、プロ…ポ、ズ…され、ちゃ…た…。ほら…、見…て…」
それが僕の最愛の人、本村美香の最期の言葉だった。
それっきり、美香は僕があの事故で見つけた時みたいに、目を見開き、口も開けっ放しのまま、二度と動かなくなった。二度と話す事もなかった。
親父さんは、そのまま動かなくなった娘の遺体をいつまでも抱きしめ続けていたそうだ。警備員のおじさんに見つかって、警察に通報されるまで、ずっと…。
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