第35話

親父さんの話をまとめると、こういう感じだ。


 美香に買い物を頼まれているからと僕が河川敷から去った後、程なくして親父さんも上岡さんと別れた。


 僕が美香の遺体を盗み出して、何やらよくない事をしようとしていると思い込んでいた(いや、実際しでかそうとはしていたが)親父さんは、すぐに僕の後を追いかけようとしたそうだが、それを上岡さんがこう言って止めたという。


「大丈夫ですよ、会長さん。彼が本当に誠実で心から美香さんを愛していたなら、美香さんは必ず帰ってきます。必ずあなたの元へ戻ってきますから」


 その時親父さんは、僕への怒りを上岡さんへと変更した。


 気休めを言わないでくれ、あんたの奥さんは怪我だけで済んだんだろとか。そんなあんたに一人娘を亡くした俺の気持ちが分かるのかとか、とにかくこれでもかとばかりにズタボロに言い連ねてしまったという。


 それなのに、上岡さんは一瞬たりとも機嫌を損ねないばかりか、ふっと静かに微笑んでこう言ったそうだ。


「分かるんですよ。自分も、彼と同じでしたから・・・・・・・・…」


 だから、どうか信じて待っててあげて下さいと、上岡さんはゆっくり深々と一礼してから親父さんの前から立ち去った。


 当然の事ながら、その時の親父さんには上岡さんの言ってる事が毛先ほども理解できなかったという。


 何を言ってるんだ、あいつは。奥さんの介護疲れとマスコミからの取材、それに『natural』の現場検証が立て続いてるせいで、どこか頭のネジが飛んでしまっているのではないか?


 よほど疲れているのだったら、しばらく『被害者の会』の定期会議は休ませてやるべきだ。他のメンバーの方々に変な影響を与えてしまうのもよくないし…。


 ああ、いや。そんな事より、今は美香の遺体の捜索願いを、いや被害届を出すべきだ。絶対にあの男が盗み出したんだからと、僕へのいらだちというか憎しみにも近い怒りを最大限にふくらませながら、親父さんが葬祭場の入り口前まで戻ってきた時だった。


 告別式の予定時間はとっくに過ぎていた上、この日は美香以外に荼毘に付されるご遺体もなかったので、スタッフも引き払った葬祭場は外も中もしんと静まり返っていた。


 そんな葬祭場の入り口ドアに、美香が寄りかかるようにして座り込んでいたそうだ。死に装束ではなく、きちんとした洋服に身を包んだ美香が。

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