第30話

「ごめん、美香…」


 美香の目線の高さまでリングケースを差し出した途端、僕の両目から想定していなかった涙がボロボロと溢れ出してきた。


「あの日、これを渡してプロポーズしようと思ってたのに…!ずっと一緒にいてほしいって言いたかったのに…!」

「たもちゃん…?」

「ごめん、美香…!本当に…!」


 泣くな、バカ。泣きやめ、今すぐに。


 美香はまだちゃんと分かっていないんだ。それなのに、こんな言い方したら…!


 あの日の続きをちゃんとやるんだ。美香が望んでくれていた事を最後までやり遂げるんだ。そして、それが終わったら、美香を…。


 そう、頭では分かっているのに、また身体が動かない。リングケースを差し出した格好のまま、僕は美香を見つめる事しかできない。


 何やってんだ。早くリングケースを開けて、中身を美香に見せてやらないと。ものすごくきれいなんだ。選ぶに選んで、美香に一番似合うと思ったものを買ったんだから…。


「本当に、本当にごめ…」


 それなのに、僕の口はまた勝手に変な事を言い出そうとする。だが、今度はそれを言い切る前に、差し出していたリングケースにそっと美香の左手が触れた。


「ありがとう、たもちゃん…」


 ふわりと柔らかい、温かい声色だった。涙で滲んでぼやけていたけど、きっと美香は笑っていたと思う。


「謝らないでよ、たもちゃん。私、今ものすごく嬉しいの」

「美香…?」

「今頃になって気付くなんて、マヌケだとしか言いようがないんだけど」


 そう言うと、美香は僕の手からリングケースをそっと取り、自分の胸元に押し付けるように引き寄せた。


「よかった…」

「え?」

「私、失くしたのが右腕でよかった。左腕じゃなくて、本当によかった」

「美香…」

「ありがとう、たもちゃん」


 もう一度そう言ってくれると、美香は僕の胸元にぽすんと収まった。


 僕より一回りも小さくて、華奢な身体。こんな身体で爆風と炎に吹き飛ばされて、右腕を失くして、それで…。


 僕は反射的に美香の身体をしっかりと抱きしめた。これが最後になると、何となく分かっていた。だから、美香が僕の腕の中にいるという感触を一瞬でも長く味わいたくて、強く強く抱きしめ続けた。


 やがて僕と美香の周りが強烈な光に包まれたかのように急に白んできて、意識の奥の方からぼんやりとしてきたが、僕は最後の瞬間まで美香を離しはしなかった。


 願わくば、美香と同じ世界に行けますようにと思いながら――。

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