第28話

何するんだと、思った。


 美香はまるで分かってない。僕が君のいない世界にどれだけ絶望しているかを。


 世間では『natural』の事を「可哀想な事故」という記号としてしか見てないし、遺族という当事者である親父さん達は、犠牲となった人達の命や人生を賠償金という単位で見ようとしている。


 汚れてると思う。恐ろしいとも思ってしまう。美香や他にも死んでしまった人達は、確かに存在していたというのに。それが一瞬で消えてなくなって、手が届かなくなって。その代わりが金とかありえないんだ。


 そんな汚れてて恐ろしい世界の中でも、美香は僕の所に来てくれた。だから次はきれいで美しい世界に一緒に行きたかったのに。


 それを言おうとして、反射的に美香を振り返った時だった。美香は不格好なままの僕と視線を合わすように両膝を折っていて、僕が一番愛してやまなかった微笑みを浮かべていた。


「たもちゃん。きちんとやってよ」


 何だか、小さな子供のいたずらを諫める母親のような声色だった。


 何だよ、それ。僕は子供じゃないぞ。そんな言い方するなって…。


「あの日の続き、ちゃんとやってよ」

「美香…?」

「そりゃあ、ここは『natural』じゃないし?見届けるって言ってくれてたマスターも奥さんもいないし?おまけに気合い入れてたメイクも服装も全然違っちゃってるけど」

「……」

「だからって私、たもちゃんが死ぬのを見る為に呼び出されたつもりないからね。たもちゃんが話があるっていうから来たんだから」

「……」

「だから、ほら!早く早く!」


 小刻みに上半身を左右に揺らして、急かしてくる美香。そんな彼女に、僕は確信した。


 やっぱり美香は、自分の死をきちんと理解できていない。何もかも、あの頃のままだと…。


『本当の声に耳を傾けてあげて下さい!自分の感情だけで聞いちゃいけない、本当の声を曇らせてしまう!だから…!』


 上岡さんの言葉が、急に脳裏に蘇ってきた。今になってその意味が分かってきたが、どうして彼にそんな事が言えるのかなんて考える余裕はなかった。


 ただ、今の僕の頭にあったのは…。


「うん、そうだな。じゃあ、ちょっと待って」


 僕はゆっくりと立ち上がって、置き時計の方へと歩いた。途中で美香が放り出したロープを足で蹴ってしまったけれど、もうそれはどうでもよかった。

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