第26話

「…な、んで?何言ってんの、たもちゃん…。もしかして、まだ酔っぱらってる?」


 ギュウッと、ロープが軋む音がする。たぶん、背中越しに隠しているロープをその左手一本だけで強く握りしめているんだろう。できる限り軽い口調で話を進めようとするその様とは妙にミスマッチで、僕は何だか変な気持ちになった。


「もうとっくにシラフだよ」


 そう答えてから、僕は再び窓の方へと向かった。


 窓のサッシ枠にロープを回して、そこから首を吊るつもりではいたものの、ここは三階だ。最悪、美香からロープを取り戻せなくても、下のアスファルトめがけて頭から落ちてしまえば…。


「待って、たもちゃん!最初からきちんと説明して!」


 ぐいっと、背後から左肩を掴まれた。


 振り返らなくても、美香がすぐ後ろに立っている事が分かる。たぶん、その辺にロープを放り出して、残っている左腕を懸命に伸ばして僕を掴まえてくれたんだろう。


 僕よりもずっと、一回りも小さい左手の手のひらが、決して僕をここから逃がすまいと一生懸命に力を込めている。何て、何て皮肉なんだよ――。


「ドッキリじゃないよ」


 戸棚の上に置きっぱなしにしている貰い物の置き時計。カチカチと秒針の音がうるさくて、あまりに気に入ってなかったが、今では正しい機能以外の役割を果たそうとしてくれている。


 それをたっぷりと聞いて、少しばかりの落ち着きを取り戻した僕は、不思議そうにこちらを見つめてくる美香に対して、ゆっくりと昔話を語るかのように説明し始めた。


「『natural』は、もう元には戻らないよ」

「え…?」

「この間、奥さんがテレビに出てたのを見かけた。土地や財産を全部処分して、『被害者の会』のメンバーやその他の人達に金を渡す算段らしい」

「……」

「親父さんが変わるのも無理ないな。でも、何で気付かないんだろうな。いくら積まれたって、もうあの頃には戻れないってんだよ」

「……」


 でも、この方法ならと思った。美香はこの部屋に戻ってきただけでも大変だっただろうから、今度は僕が動かなくては。


「美香、大丈夫だから」


 左肩を掴んだままの美香の左手を、少し乱暴に振り払う。そして、さらに窓へと近付くと、枠からはみ出すように上半身を窓の外へと乗り出した。

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