第23話

「あの時の、消防士さん…?」


 思った事をそのまま口に出してしまうと、彼はハッとした表情で僕を振り返り、大きく両目を見開いた。


「君は…。じゃあ、あの時助けようとしていたのは…!」


 向こうもすぐに僕の事を思い出してくれたのか、するりと親父さんの右手首を掴んでいた手を緩めた。そして、親父さんの右手が行き場を失くしてだらんとぶら下がった時、彼は突然、上半身を折り曲げて深々と頭を下げた。


「会長さん、そして彼氏さん。美香さんを救う事ができず、誠に申し訳ありませんでした…!」


 一瞬、何を言われたのかよく分からなかった。


 何で、この消防士さんが謝るんだ?この人は、あの火事を消そうと必死になってくれたはずだ。自分から二次災害に飛び込もうとした僕も、結果的には救ってくれた。


 確かに、あの火事では美香やオーナーを含めて四人が犠牲になった。でも、それ以上にたくさんの人が命を救われた。だから、彼が謝る必要なんて――。


「何で、あんたが謝るんだ…?」


 こればっかりは親父さんも同じ思いだったらしく、先にその言葉を言われてしまった。僕が思わず息を詰まらせたのと同時に、親父さんは消防士さんに向き直って、下げ続けている彼の頭に言い続けた。


上岡かみおかさん。あんただって『被害者の会』のメンバーなんだぞ。そのあんたが、何で謝る必要がある?」

「自分達の初動が遅れたばっかりに、被害が拡大したんです。もう少し早く現着できていたら、誰も死なずにすみました。美香さんだって…」

「だから、あんた達が悪いんじゃない。あんたも、奥さんがあんな目に遭ったんじゃないか」


 親父さんと消防士さん――いや、上岡さんの話を聞いて、何だか心の中で黒いもやのようなものができた。


 上岡さんの奥さんも、あの時『natural』にいたのか。でも、新聞の記事の死亡者リストに上岡なんて名字はなかったから、怪我はしていてもとりあえず生きているんだろう?


 だったら、何で『被害者の会』に入ってるんだよ?奥さん助かったんなら、もうそれだけで充分だろう?


 親父さんが訴えを起こすのは、まだ分かる。でも、命が助かった上で『被害者の会』に入ってるという事は、まさか賠償金が目当てなのか…?ご主人をひどい形で亡くして憔悴しきっているあの人に、金を要求するつもりなのか…!?


「…あなたに謝ってもらっても、美香が死んだ事実は変わりませんよ」


 自分でも驚くほどの冷たい声が、僕の口から出た。二人が反射的に振り返るのがほんの少しだけおかしくて、僕は口の端をわずかに持ち上げた。


「まさか僕にも『被害者の会』に入れとか言いませんよね?だったら断ります。僕にそんな暇はないんです」

「え…?いや、彼氏さん、何を言って」

「美香に買い物を頼まれているんで、これで失礼します」


 僕はそう言って、二人に背を向けた。


 思わず美香の名前を出してしまったが、これ以上醜い論争や金のせびりに付き合っていられない。そう思いながら歩き出した時だった。


「彼氏さん!まさか、あなたの側にも・・・・・・いるのですか!?」


 上岡さんの大きな声が聞こえてきて、今度は僕が反射的に振り返る。親父さんのぽかんとした表情の横で、上岡さんが必死に叫んでいた。


「だったら、本当の声に耳を傾けてあげて下さい!自分の感情だけで聞いちゃいけない、本当の声を曇らせてしまう!だから…!」


 何を訳の分からない事を…。


 僕は返事も返さずに、歩を進めた。

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