第20話
僕は空を仰いで、ふうっと大きく息を吐いた。
きっと、もう何の問題もない。僕が葬祭場で見た棺桶の中には、たぶん美香の遺体が眠っているだろうが、僕はもう「あっち」を気にするのをやめる事にした。
今、僕の部屋には僕の帰りを待っている美香がいる。「あっち」の方は親父さんに任せて、早く砂糖とグレープフルーツとハチミツを買って帰らなきゃな…。
河川敷で座り込むのも飽きてきたし、ちらほらジョギングをしている人達も増えてきた。そろそろ商店街の方に行こうと、ゆっくり立ち上がった時だった。
「やっと見つけたぞ…!」
約半日ぶりに聞く怒り混じりの声。つい反射的にそちらを見やれば、一メートルほど離れた所に親父さんが立っていた。
親父さんは喪服姿ではあったが、何故かやたらと汗だくだった。
黒いスーツは所々乱れていて、シワまで付いていた。ネクタイも中途半端に緩められていて、だらしなく首元にぶら下がっている。何でもきっちりとしている親父さんにしては、決してありえない格好であった。
「あ、あの…?」
僕は、親父さんがここにいるのが不思議で仕方なかった。
美香の葬儀の喪主である親父さんが、大事な一人娘の告別式をほったらかして、また僕を殴りに来たとは到底思えない。
だが、怒りの感情と共にゼイゼイと吐き出している荒息は、間違いなく僕に用件があるのだと言わんばかりの勢いだった。
「…貴様ぁ。例え昨日の当てつけだったとしても、やってはならん事があるだろぉ!」
荒ぶっていた息を一度ひと飲みしてから、親父さんが怒鳴り出した。
「そんなに俺から娘を奪いたいか!もう指一本、眉一つ動かせなくなったというのに…!静かに子供を見送りたいという親の務めを奪ってまで、貴様は美香を連れ去りたいか!」
「ちょっ、ちょっと待って下さい。何言ってるんですか…!」
親父さんの怒鳴り声に、僕はすっかり混乱した。
この人は何を言ってるんだ?そっちの棺桶の中にだって、美香はいるだろう?
だったら、いくらでも望み通りに見送ればいい。僕は僕で、帰ってきてくれた方の美香と共に過ごす。双方ともに美香がいるのだから、後は互いに干渉しなければ…。
「しらばっくれるな…!」
うっとうしくなったのか、ネクタイを乱暴に引き抜きながら親父さんが言った。
「美香の遺体が、棺桶からなくなってるんだ…!」
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