第19話



 「行ってきます」と美香に告げて、家を出てから三十分。僕は昨日の河川敷に腰を下ろしてぼうっとしていた。


 右手に握りしめたままのスマホの液晶画面には、先ほど検索した幻肢症の詳細を記した文の羅列が走っている。手足を失くしているにもかかわらず、あたかもまだそれが存在しているという認識を持っている事、だそうだ。


 当人には感覚が残っていたり、その目にはっきりと映っていたり、ひどい時には自らの意思で動かす事も可能だそうだが、結局は幻覚に過ぎない。詳細の中には治療法のような物も書いてあった気がするが、僕はそこまで読む気にはなれなかった。


 いいじゃないか、と思ったのだ。


 警察の人だって言っていたんだ。美香は苦しまなかったと。そんな暇すらなく死んだのだと。


 その美香がこうして帰ってきて、例え本人的には幻覚だとしても五体満足で前と変わらずに過ごしている。


 だったら、もうこれでいい。幻肢症だろうと何だろうと、それが今の美香を形作ってくれているのなら。美香に何の苦痛も与えないというのなら、このままでいい。


 わざわざ本当の事を話して驚かせたり怖がらせる必要なんて、どこにもない。『natural』の事はいずれ話すとして、とにかく今は美香と二人で…。


 そこまで考えた時だった。ふいにスマホのアラームがけたたましく鳴って、僕の身体は文字通りびくんっと跳ね上がった。


 平日のこんな時間にセットした覚えなんてと思いながら、スマホの液晶画面を再び見入る。後は指をスライドさせて止めればいい。だけど、液晶画面に映し出されていた文字の意味を飲み込んだ途端、僕は指をかざしたままの格好で思い出していた。


『美香 告別式』


 美香の名前と、たった三文字の不幸な固有名詞。時刻は午前十時。親父さんに追い払われて参列すらできないだろうと思って、アラーム付きでメモしていたんだった…。


 そうだ。この時間に美香の告別式が始まるんだから、せめてどこかの場所で彼女を送り出そうと思ってセットしていたんだった。


 …安っぽいホラー作品だと、実に典型的でありがちな展開だろう。遺体はきちんとあるべき場所にあるのに、霊的な存在になった者が現れるとかいう話。


 そういう場合、大半が半透明で触れる事すらできないのが定番だが、美香にはそれは当てはまらなかった。ものすごく冷たかったけど、身体に触れる事はできたし弾力もあった。半透明でもなかったし、何より意思の疎通もできた。

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