第18話

「買い出しなら、僕が行ってくるよ。ちょうど買いたい物があったし」


 とっさに嘘をついた。買いたい物なんて、昨夜のカップ酒でもう充分だ。今の僕に必要なのは、目の前にいる美香だけなんだから。


「え~?ちょっと大丈夫なの?」


 美香が完全に向き直り、また首をかしげる。その時、ゴキンと何か鈍い音が聞こえたような気がしたが、僕は無視をした。


「大丈夫だよ。どうせ砂糖とグレープフルーツと、それから…」

「ハ・チ・ミ・ツ!ほら、商店街の中の専門店。あそこのじゃないと隠し味にならないってマスターうるさいんだから」

「はいはい、分かったから。美香は家にいろ」


 回れ右をさせる為に、僕は両手を突き出して美香の背中に触れた。すると服越しにザラリとした感触を覚えて、もしかして背中にも傷ができてしまっているのではと心配になった。


 だから、こんな間抜けな質問をしてしまったんだと思う。


「身体、痛いだろ…?」


 覆水盆に返らず。そんな言葉がとっさに浮かんで、しまったと思った。死を自覚していない美香に、そんなものを連想させるような事を言えば、もしかしたら…!


 ところが、美香はきょとんとした表情で僕を見つめた後、「何言ってんの、たもちゃん?」と返してきた。


「私、別にどこも痛くないよ?」

「え…」

「ほら見て。普通に腕とか回せるし、何も問題なく歩けるし」


 そう言って美香は左腕をぶんぶんと大きく回し始めた。


 当然の事だけど、右腕が欠けている今の美香にはそこを回す術はない。だが、左腕を回すペースがやけにワンテンポ遅いというか、何かと交互に動かしているように見えるというか…。


「ほらね、たもちゃん。ちゃんと『両腕』動いてるでしょ?だからどこも痛くないよ」


 僕を安心させようとしてくれているのか、美香が優しく微笑む。だが、それは逆効果で、僕はいつか何かの本で読んだ幻肢症というものを思い返していた。

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