第9話

「離せ、離してくれ!!」


 僕は芋虫のようにもがきながら、肩越しに振り返る。体勢の悪さと充満している煙のせいで顔はよく見えなかったが、酸素マスクに銀色の防火服を身にまとっていたから、おそらく消防士だろう。


 その消防士らしき男は、酸素マスクの為にくぐもった声で僕に怒鳴った。


「何考えてんだ、死ぬぞ!」

「中に…、中にまだ人がいるんだ!僕の彼女が、ここのオーナーさんが…!!」


 僕がそう叫んだ、その時だった。


 ドカアァァン!!


 目の前に見えていた『natural』の入り口ドアが、爆発音と共に木っ端微塵に吹っ飛んだ。そこから勢いが全く衰えない炎が舐めるようにして出てきて、こちらをあざ笑うかのように広がっていく。


 それを見た消防士の男は、僕を羽交い絞めするように抱え上げると、そのまま引きずるように下がり出した。


「ここから離れるんだ!巻き添えを食うぞ!!」

「嫌だ!美香、オーナーさ~ん!」


 自分の無力が、ただ悲しかった。


 これがドラマか何かの作り物だったら、主人公の僕はこの消防士の腕を払いのけて、勇敢に炎の中へと飛び込むだろう。そして、多少の火傷を負いはしても、見事二人を救出するというハッピーエンドを迎える事ができるだろうに。


 でも、現実はそうじゃない。僕は、消防士の腕から抜け出す事もできないほど無力な…。


「離せ、離せ~!」

「落ち着け!要救助者達なら、救急車の所にいる!もしかしたら、そこにいるかもしれない!」


 そう言って、消防士は僕を引きずったまま、奥さんの元まで連れ戻してくれた。「え…?」と僕が聞き直すが、彼は『natural』に鋭い目を向けて、もう僕を見ていなかった。


「しっかりしろ。きっと、そこにいるだろうから」


 そう言って、彼はまた炎の近くまで走っていった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る