第61話
「……僕、あやかしになるよ」
数時間後。俺と一緒に綾ヶ瀬家の和室に戻ってきた勇気は、由実さんの顔をまっすぐ見据えながらそう言った。涙の痕が頬にくっきり残っている息子の顔を見た瞬間、由実さんもぐしゃぐしゃに顔を歪ませていたが、すんでのところで涙を流すのを堪え、目の前の勇気の肩にそっと両手を置いた。
「勇気、ごめんね。こんな方法しか思い付いてあげられなくて」
「ううん、いいよママ。あやかしになれば、僕はもう大丈夫なんでしょ?」
そう言って、勇気はゆっくりと微笑む。無理して笑っているのがバレバレで、見てるこっちがしんどくなった。
確かに、あやかしになってしまえば、もう牛鬼の血に怯えて行動に制限をかける事はないし、寿命だって人間の何百倍、何千倍と延びる。由実さんが息子に長く生きていてほしいという願いだけは、それで確実に叶える事ができる。でも……。
「よく言うたな、勇気。お前のその天晴な決意、かつてのあやかしの総大将として心からの敬意を表させてもらうぞ」
俺の隣に座っていたジジイがそう言うと、デカい頭を深々と下げる。それを見て由実さんが慌てて「やめて下さいっ、ぬらりひょん様」なんて言ってたけど、ジジイはなかなかその重そうな頭を上げようとはしなかった。
ジジイのそんな様子を意外に思わなかったと言えば、大嘘になる。勇気があやかしになると言った時点で、飛び跳ねて喜ぶもんだと思ってた。だって、かつてのあやかしの総大将だったジジイにとっては、いわゆる「仲間」が増える事になるんだから。
「……まさか、今すぐやろうって言わないよな」
ジジイの後頭部を視界の端に映しながら、俺は言った。
「あやかし活性化の儀式なんて、俺はやり方全然知らないぞ。さっきも言ったけど、全部てめえに丸投げするからな」
「そこは安心せい。今回はワシが責任を持って全て取り仕切る。今日のところは二人ともうちに泊まってもらって、儀式は明日の午前中に済ませよう」
そう言いながら、やっと頭を上げたジジイが、懐から一枚の和紙を取り出す。これまで一度も見た事のないミミズがのたくったような文字がびっしりと書き連ねられているその和紙を、ジジイは静かに勇気へと差し出した。
「これは、あやかし活性化の儀式に使う大事な誓約書じゃ。これにお前と優太のサインを書き込む事で儀式が行える。ここの所に名前を書いてくれ」
「……はぁ!? 何で俺のサインがいるんだよ!? 任せるって言ったよな!?」
「確かにワシが仕切るが、結構大がかりな儀式になるから立会人が必要なんじゃ。これは公麿と一緒に考えたシステムだし、研修中とはいえ今の家業主はお前じゃろう。いちいち文句を垂れるな」
ほら、とボールペンをぐいぐいと押し付けてくるジジイ。俺はもう何度目になるかも分からなくなった先祖への恨み節をブツブツと呟きながら、勇気に続いてサインをした。
「何か、手伝える事あるか?」
サインをし終えた勇気に向かってそう言うと、勇気はすっと俺を見上げながら言った。
「便箋あったら分けてくれる? ママと志穂ちゃんに手紙を残したい。二人にだけは忘れてほしくないんだ、僕の事」
そんな息子の言葉に、由実さんはついに耐えきれなくなって、大声で泣き始めた。
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